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日本語における漢字で外来語を表示する現象についての考察
1.はじめに
日本における漢字は、表音文字である“かな”(平仮名、片仮名)と並んで日本語を表記するための主要な文字となっている。一方、外来語は、日本語の語彙における不可欠な役割を果たしている。一般的には、漢字は和語と漢語の表記に用いられ、外来語はカタカナで表記されている。しかし、実際、相当な数の日本語の外来語は、漢字でも表記でき、あるいは漢字で表記されたこともある。その現象の裏には、何か深い原因があるはずだ。つまり、漢字で外来語を表記する現象は今にも存在しているということは、その表意文字としてのメリットが、外来語の不足の部分を補うことができるのではないか。そう思って、独自に研究しながらこの論文を書いた。
2.漢字で表記する外来語とその分類
ここでは、まず、漢字と外来語の日本における歴史について、少々述べたいと思うのである。
昔の日本は、言葉はあったが、文字はなかったである。そこで、周辺の国家、民族との交流を通じて、漢字を取り入れることになった。
日本の人の漢字との接触は、だいたい前漢(BC206-AD8)の時代から始めたのである。そのとき、日本はまだ弥生時代でした。「倭の奴国」という日本の国の王が、前漢に使者を派遣し、漢から「漢委奴国王」という五文字を刻まれている金印を授けられた。
漢字が日本で用いられ始めたころ、漢字で書かれた文章は漢文であり、漢字を用いて綴るべき唯一の文章もまた漢文であった。(森岡健二:日本語と漢字,明治書院,平成十六年 p169)そしてその中から日本語の表記により適したかたちを見つけるという要求に応じ、万葉仮名、カタカナとひらがなが相次いで創造され、日本語が漢字と仮名を混ぜて書かれるように発展されてきた。漢字は日本語の文字の一種類に定着したのである。
そして、西洋諸国との接触で、外来語も大量に出現した。広義的にいえば、漢語、梵語、朝鮮語も外来語に属するが、一般的に、日本語における外来語は、十六世紀以降、西洋から日本に伝わったものを指すのである。
外来語は、発音が日本語化したもので、もとの言葉とは発音が違うのである。また、意味が違うこともある。
戦後、日本語における外来語は急速に増加し始めた。外来語は、科学、マスコミの文章だけでなく、人々の日常生活の中でも、頻繁に使われるようになった。また、和製外来語もどんどん増えてきた。(皮细庚:日语概说,上海外语教育出版社,1997、p267-272)外来語は、もはや日本語には欠かせない要素になっていた。
今では、外来語はほとんどカタカナで表記されている。しかし、そんな外来語のなかでは、漢字で表記することもできるものがある。中国から伝わった漢字で西洋から伝わった外来語を表記することは、実に興味深いところである。日本語においては、漢字とかなの混用によって語の切れ目を表示するため、かつては借用語を含め自立語は全て漢字で表記する傾向があった。このため、表音文字のかなで転写できるにもかかわらず、固有名詞の借用語を中心に漢字による当て字の事例が大量に存在する。固有名詞の語形は中国語からの借用が多いが、日本語独自の例も見られる。
日本が本格的に西洋から知識や技術を取り入れ始めたのは、明治時代に入ってからであるが、室町時代の末期、すでに外来語が出現した。当時は、中国などのアジア諸国の言語とはまったく別の体系の西洋の言葉について、処理する経験が少ないため、多くは先に上陸していた漢字を当てはめて用い、それが明治十二、三年までつづき、のちカタカナ表記に変わっていた。(村石利夫:日本語漢字力がつく辞典,東京堂出版,2007、p254)つまり、当て字で外来語を表記することである。
当て字とは、字の本来の用法を無視して、当座の用のために異なる語の表記に転用した文字を広く指す。「(当座の)字を当てる」という日本語の表現に由来した概念である。実は、当て字は和語にも使っていて、「兎に角」「出鱈目」などはその例である。
下記するのは、その例である。
(一)漢字を表音文字として使う。
(イ)ガス瓦斯(gas)
気体全体のことを指す。
(ロ)ランビキ蘭引(葡alambique)
江戸時代、酒類・医療用アルコールなどを蒸留する器具。(岩波書店:広辞苑,岩波書店,1998、p2785)
(ハ)ゴム護謨(蘭gom)
力を加えると大きく変形し、その力を除くとすぐもとの形状に戻る性質をもつ物質の総称。(岩波書店:広辞苑,岩波書店,1998、p1005)
(ニ)ジャンク戎克(junk)
中国およびその周辺特有の船の総称。特定の型式の船ではない。(岩波書店:広辞苑,岩波書店,1998、p1247)
(ホ)ソーダ曹達(soda)
ナトリウム塩の通称。中国語でも「苏打」と音訳している。
(ヘ)チフス窒扶斯(独Typhus)
高熱や発疹を伴う細菌感染症の一種で、広義には腸チフス、パラチフス、発疹チフスの総称。
(ト)チンキ丁幾(蘭tinctuur)
生薬やハーブの成分をエタノール、またはエタノールと精製水の混合液に浸すことで作られる液状の製剤を指す。
(チ)テンプ天府(伊tempo)
腕時計や懐中時計などの遅速を調節する装置を指す。
(リ)テンプラ天婦羅(葡tempero)
戦国時代の16世紀頃に、キリスト教の宣教師達によって伝来され、魚介類、野菜、山菜 等に、小麦粉で作った衣をつけて油で揚げた料理である。伝来の当時では、「南蛮焼き」とも呼ばれていた。
(ヌ)ヨーシン洋新(eosine)
「エオシン」ともいい、鮮紅色の染料の一種である。
(ル)リンパ淋巴(独Lymphe)
高等動物の組織間隙を満たす体液。(岩波書店:広辞苑,岩波書店,1998、p2819)
(ヲ)ゴロフクレン呉絽服連(蘭grof grein)
近世、イギリス・オランダなどから舶来した梳毛織物をいう。
(ワ)コンペイトー金平糖(葡confeito)
砂糖と下味のついた水分で作られる、表面に凹凸状の突起(角状)をもつ小球形の菓子であって、安土桃山時代に外国から輸入されたものとされている。
(カ)クラブ倶楽部(club)
政治・社交・娯楽、あるいは学校の課外活動で、共通の目的によって集まった人々の団体。また、その集合所。(岩波書店:広辞苑,岩波書店,1998、p786)
(ヨ)サラサ更紗(葡saraca)
人物・花・鳥獣・幾何学模様などをさまざまな色で手描(が)きや型染めにした綿布。室町末期より南アジア諸国から輸入され、日本でも作られた。
(タ)ジュバン襦袢(葡gibao)
和装用の下着。肌襦袢・半襦袢・長襦袢などをいう。
(レ)バテレン伴天連(葡padre)
キリスト教伝来に際して渡来した宣教師・司祭をいう。当て字として使った漢字には、「天国までつれて差し上げる」の意味があって、宣教師などの特徴を表している。
(ソ)ラシャ羅紗(葡raxa)
羊毛で地の厚く密な毛織物。室町末期頃から江戸時代を通じて南蛮船、後にオランダや中国の貿易船によって輸入され、陣羽織・火事羽織・袋物などに用いた。(岩波書店:広辞苑,岩波書店,1998、p2776)
(ツ)カッパ合羽(葡capa)
雨天の外出に用いる外套の一種。初めポルトガル人の外套を模し、衣服の上に広くおおうように制したもの。(岩波書店:広辞苑,岩波書店,1998、p528)
(ネ)ブリキ錻力(蘭blik)
錫を鍍金した薄い鉄板。(岩波書店:広辞苑,岩波書店,1998、p2366)
以上のように、漢字は意味が無視され、表音文字として使われている。
「このように漢字を表音文字的に使い、意味を切り棄てて発音だけで利用したのは、決して日本だけではありません。むしろその使い方自体も中国から伝わってきたと考えてもいいでしょう。というのは、中国でも外国の地名や人名を書く時にはまったく同じ方法を使うからです。中国ではじめて外国の言語を表音的に写しとる必要に迫られたのは、仏教の経典、つまりお経を訳すときでした。」(知っておきたい漢字の知識p28-29)
ここで注目すべきなのは、(ヲ)から(ネ)までのものである。その外来語は音訳であるが、衣類は衣類らしく、食物は食物らしい漢字を当てている。そうすると、具体的な意味がわからなくても、指しているものの種類は大体わかるようになる。漢字の表意文字としての利点もうまく利用されている。
(二)中国語からの借用。
(イ)サボテン仙人掌(西sapoten)
サボテン[sapoten]は寛永年間(一六二四~四二)、フィリピンを経由して日本に渡来したといわれている。そのころは「仙人掌」とか「覇王樹」の中国語を借用していた。(村石利夫:日本語漢字力がつく辞典,東京堂出版,2007、p266)
(ロ)ザボン朱欒(葡zamboo)
アジア南部の原産でミカン科の落葉灌木の一種。漢字は中国の「しゅらん朱欒」を借用した。
(ハ)パン麵麭(葡pao)
小麦粉やライ麦粉などに水、酵母、塩などを加えて作った生地にイースト菌などを加え、発酵させた後に焼いた食品で、中国語での漢字表記も「麺麭」である。ちなみに、「トースト」は「焼麺麭」という漢字表記もあった。
(ニ)タバコ煙草(葡)
葉の成分としてニコチンを含むナス科の一年草の亜熱帯性植物。日本では天正年間(1573年~1592年)にスペインの船が持ち込み、薬として売り始めたのが最初とされ、その語源は、スペイン語やポルトガル語の \"tabaco\"である。漢字の当て字としては「多巴古」、「佗波古」、「多葉粉」、「莨」などが用いられる事があるが、「煙草」と書かれる事が最も多い。
(ホ)チャボ矮鶏(champa)
鶏の一品種。愛玩用。
(ヘ)チャルメラ哨呐(葡charamela)
2枚リードの木管楽器の一種で、チャルメルともいう。
「チャルメラ」の語は、「葦、砂糖黍」を意味するラテン語のカラムス(calamus)から来ている。リードの部分に葦が使われていることからこの名が付いた。
漢字表記の「哨吶」は中国の楽器「唢呐」に由来し、「唐人笛」と呼ばれていたこともある。
(ト)ビール麦酒(蘭bier)
麦芽由来の酵素により、穀物に含まれるデンプンを加水分解して糖化し、酵母により発酵させて作るアルコール飲料の一種。
(チ)ガラス硝子(glass)
ケイ酸塩を主成分とする硬く透明な物質を指す。
(リ)ビロード天鵞絨(西velludo)
表面が毛羽・輪奈(わな)でおおわれた、滑らかな感触のパイル織物。本来は絹。江戸初期に西洋から輸入され、のち京都で織り出された。
(ヌ)キセル煙管(柬khsier)
日本の喫煙道具の一種で、西洋のパイプに類似する。語源については異説もあるが、渡邊實著 『日本食生活史』( 吉川弘文館)によると、カンボジア語で管を意味する「クセル」が、なまったものとされる。
(ル)ブランコ鞦韆(葡balanco)
公園や小学校の運動場に備え付けられていることの多い遊具。椅子あるいは踏み台が2本の鎖で吊り下げられている構造となっている。漢字表記は「鞦韆」、「秋千」であるが、「鞦」・「韆」はそれぞれ1文字でもブランコの意味を持つ。鞦韆は今でこそブランコの意味を持つが、古くは中国で宮女が使った遊び道具をさす。いまのブランコとは少し違い飾りがたくさんついており艶かしいイメージを持たれていた。
以上のように、中国語の訳名を借用する場合は、単語は漢字で書かれているが、発音は日本語化した西洋の単語である。つまり、熟字訓みたいな用字方法になっている。区別はただ、熟字訓が和語の語彙についての漢字の読みかたに対して、この場合の当て字は外来語の語彙についての漢字の用字方法である。このような表記方法は漢字が表意文字として使われていると言える。
(三)その他。
ドル弗(dollar)
ダラーをオランダ流に読んでドルとした日本語。ドルの記号「$」に似ている「弗」の字を当てたもの。(村石利夫:日本語漢字力がつく辞典,東京堂出版,2007、p256)
このように記号に似ている漢字で外来語を表記するのも、まれに見られるのである。
明治時代に入ると、だんだんカタカナだけで表記するようになった。
3.明治時代からの流れ
明治時代になると、日本は積極的に西洋の先進国から知識や技術を取り入れ、急激に近代化を進めた。その風潮とともに、普通文や口語文が普及し始め、昔の漢文などの文体は地位を失った。詩文用語や旧来の漢語に代わって新語として外国語の訳語が大量に生産されたが、当て字式の訳語はたちまち淘汰されて普及せず、明治三十年代には訳語も分解式の語彙が増えて近代語に近づいてくる。(森岡健二:日本語と漢字,明治書院,平成十六年、p136)江戸時代人の憧れた近世中国語は、明治時代になると少なくとも洋学の世界で好まれなくなる。(森岡健二:日本語と漢字,明治書院,平成十六年、p136)
そしてその流れの中で、漢字制限や漢字廃止論といった考えも出現した。「文明開化によって外国との接触が深まり、ローマ字が日本人にもなじみぶ深いものとなってきました。そしてそれとともに、日本語を書き表す際の効率よくするための工夫が財政界や学界などから提唱され、試みられてきました。それはカナモジ派とローマ字派に大きく二分されます」(森岡健二:日本語と漢字,明治書院,平成十六年、p140)
幕末の時代に、漢字の廃止や制限についての問題はすでに取り上げられた。日本の郵便事業の創始者である前島密は、初等教育の効率を上げるために漢字を全面的に廃止せよと主張した。前島は1866年に、当時の征夷大将軍であった徳川慶喜に対して、「漢字御廃止之儀」を上申した。その中では、漢字が学習に多くの時間がかかるので、それを廃止し、以後は仮名で文章を書くべきだという意見を述べた。西洋に書物を読みなれていた一部の明治時代の学者にも、同じような主張が見える。さらに、日本語を廃止し、英語を使うべきだという説も唱えられた。しかし、その観点はやはり過激すぎて、主な漢字廃止論の主張は、カナモジ派とローマ字派の二つに分かれた。
「日本語を仮名だけで書くべきだという主張は、一部の知識人から強い支持を受けました。一八八三年には、日本初の近代的国語辞典『言海』を編纂した大槻文彦が五〇〇〇人を集めて「かなのくわい」を組織し、機関紙『かなのみちびき』を創刊した。ローマ字派も負けてはおらず、一八八四年には哲学者の外山正一よ矢田部良吉らによって「羅馬字会」が結成されました。また地球物理学者であった田中館愛橘が、日常的な手紙から学術論文までさまざまな日本語をローマ字書くべしと主張し、一九〇九年には「日本のローマ字社」を設立し、内外に積極的な啓蒙普及運動を展開しました。」(森岡健二:日本語と漢字,明治書院,平成十六年、p141)
カナモジ派もローマ字派も、結局日本語表記の根幹を変えることができなく、日本語が相変わらず漢字と仮名を混ぜて書かれているのであったが、横書きや新聞や雑誌などで難しい漢字の使用を制限するなどの主張は、戦後の改革に影響を与えた。
第二次世界大戦のころ、外来語は「敵性語」とされ、その使用は制限された。
敵性語(てきせいご)とは、かつて敵対国や交戦国で一般に使用されている言語を指した語。
日本では、特に第二次世界大戦中で敵性国·交戦国だったアメリカやイギリスで使用される英語を「軽佻浮薄」と位置づけ、これが精神論的に「敵性」にあたるものだとして排斥が進んだ。
敵性語は法律や省庁通達などで禁止されたのではなく、自己規制によって排斥された。
ここで、その例をあげる。
「レコード」→「音盤」
「サッカー」→「蹴球」
「カレーライス」→「辛味入り汁掛け飯」
「アナウンサー」→「放送員」
しかし、同じ交戦国より伝われた漢語などは敵性語とみなされていなかった。
戦後の日本は、文化面を含め、さまざまな改革が行われた。教育改革のために日本に招いた「アメリカ教育使節団」は、「漢字はこれまでの日本人に非常に大きな障害となっていて、特に漢字の暗記が生徒に過重の負担をかけている」、「使節団の判断では、仮名よりもローマ字の方に長所が多い。さらにローマ字は戦後の日本に民主的公民としての資格と国際的理解を育成するのに適するだろう」と主張した。
しかし、千年以上も続けられてきた漢字かな混じり文のシステムを一朝一夕に全面廃止し、ローマ字だけで日本語を書くというのは急激過ぎで、一九四六年に、内閣訓令第七号として「当用漢字表」が制定された。「当用漢字表」の「当用」という二文字の意味は、「当に用いるべし」ではなく、「当面のあいだ用いる漢字」である。つまり、一度に漢字を廃止しない、しばらくは国語改革に漸進的な方策をとることである。当用漢字は戦後の漢字制限の流れにそるもので、それによって、外来語はほとんどカタカナで表記することになった。
4.若者向きの娯楽分野における漢字で外国語にルビをつける現象
月日が流れ、経済の発展やコンピューターなどの普及によって、漢字と外来語の地位はやっとバランスをとり、定着した。外来語は現代的な感覚を持っているだけでなく、若者、特に女性にとって、おしゃれな語感をあるので、多くの分野でその使用が増えている。一方、ワープロやコンピューターの出現と、「当用漢字表」によって一部の漢字の筆画が少なくなることで、漢字が難しくなくなった。つまり、主としてパソコンなどを使って文章を書く日本人にとって、欧米人が難しすぎだと判断した漢字はもはや文化面における障害ではなくなった。
戦後の経済の発展とともに、日本人の娯楽の方式も多彩になってきた。マンガ、ゲームなどは、その代表格である。そして、その若者に親しまれている娯楽のなかに、外来語に漢字でルビをつける現象が出現した。
マンガやゲーム、それにライトノベルは、新奇な内容を持っていることに特徴があるので、外来語で構成する単語がしばしば出てくるが、マンガとゲームは主として青少年や若者を対象とするため、言葉が難しすぎてもわかるように配慮しなくてもいけない。そこで、漢字で外来語にルビをつけることにより、外来語をわかりやすく解釈する方法として出現した。
[例1]「セブンスフォニム第七音素」と書いてある
[例2]「装甲したアルミューレ·光リュミエール」と書いてあるが、「装甲した光」という漢字がルビのようにつけてある
[例3]「ヘブンズフィール天の杯」と書いてある。(ライトノベル『フェイト/ゼロ』(TYPE-MOON BOOKS)より)
[例4]「リハビリ社会復帰」や「リハビリテーション更生運動」と書いてある。(ライトノベル『空の境界』(竹箒)より)
以上は例である。[例1]、[例3]、[例4]は、カタカナ語は漢字の振り仮名のように扱われ、[例2]は逆であるが、どっちの場合もカタカナ語のほうの発音をとる。その場合、漢字はカタカナ語の注釈のようなものとなり、難しい外来語を簡単に説明する役割を果たしている。新奇で「響きがいい」外来語と、わかりやすい漢語はそれによって、両立できるようになった。それはあくまでも非公式な表記の方法で、言葉の遊びのように見えるが、漢字のメリットが示されている。
一度廃止しようとされた漢字であるが、今もさまざまの分野で使われているばかりでなく、外来語のほうを好んでいるといわれていた若者にも親しまれている。コンピューターの出現により入力が簡単になったことのほか、カナモジやローマ字と比べてメリットを持っていることも大きな原因である。
文字には大きく「表意文字」と「表音文字」の二種類に分けることができる。それぞれの文字が固有の意味をもっている文字を表意文字、意味をもたず単に音声しか表さない文字を表音文字という。
表音文字で書かれた単語や文章は、各文字のつながりを音声に復元し、その音声を言語の中に当てはめて考えなければならないが、表意文字なら、文字と表裏一体の関係にある音声と切り離しても、もっとわかりやすくいえば、その文字の発音を知らなくても、文字だけで本来の意味を伝えることがある程度は可能だ。たとえば中国語を知らない人は、「謝謝」という中国語を、中国語の発音で読めないが、「謝」という漢字の意味を知っている人ならば、「謝謝」が「ありがとう」という意味であることがおそらくわかるだろう。
形と意味が密着している表意文字は、一度認識されたら脳内で反射的に記憶されるという特徴も持っている。
以上が表意文字の最大の特徴でカナやローマ字などの持たないメリットだといっても過言ではなかろう。
5.結論
漢字で外来語を表記する現象は、日本文化における地位を示している。
漢字は二千年前、すでに日本に伝入し、日本語を表記する文字として定着した。そして、初めて西洋から新しい単語を取り入れたとき、漢字を代表とする中国文化の深い影響を受けている日本は、アジア諸国の言語と体系が違う西洋の言葉を処理する経験が多くないので、多くの場合は先に上陸していた漢字で西洋の言葉を表記することにした。具体的な方法は、漢字を表音文字として使う、中国語からの借用、それに西洋の記号に似ている漢字を使うなどがある。
明治時代に入ると、外来語はだんだんカタカナだけで表記するようになって、漢字を廃止し、カナやローマ字だけで日本語を表記すべきだという論調も出てきたが、結局漢字から離れることはできなかった。日本人はすでに中国の漢字を自分の文化に取り入れて、それを基盤として日本の文化を発展させてきたのだから。
現代に至って、ほとんどの外来語はカタカナで表記するようになったが、漢字の地位は依然として動くことができない。特にその表意文字としての便利さのゆえ、日本の若者たちにも親しまれている。日本の若者たちにとって、カタカナで書かれる外来語は、現代的でおしゃれなイメージを持っているが、難しくて理解しにくいところもある。それで、わかりやすい漢字を使って外来語を表示する方法はマンガ、ゲーム、それにライトノベルなどの若者向きの文化分野で再び姿を現した。
昔も、現代も、日本語における漢字で外来語を表示する現象が存在している。その原因は、漢字は表意文字としてわかりやすいという特性を持っていることにあるだろう。漢字は、日本語で千年以上もいきつづけてきた。その表意文字としての便利さは、現代の日本社会にとっても適切で必要なものである。漢字で外来語を表記する現象が今も昔も存在していることは、漢字の優位性を示している。日本の根本の国情が変わらない限り、漢字の日本語における地位を揺るがすことができないだろう。
中国では、「五四運動」以来、漢字の存廃について、討議を重ねてきたが、今、日本語における漢字の現状を見る限り、漢字はこれからも存続させるべきではないかと思うのである。
漢字は、中華民族が作り上げた、東アジアないし世界へ大きな影響を与えた文字である。一見複雑な漢字であるが、その表意文字としての優位性が何千年の歴史の中で中国や日本の経済、文化活動によって証明され、これからも中国や日本の文化の発展に貢献できるだろう。
参考文献
[1] 森岡健二:日本語と漢字、明治書院、平成十六年
[2] 岩波書店:岩波日本語講座8文字、岩波書店、1977
[3] 岩波書店:岩波日本語講座9語彙と意味、岩波書店、1977
[4] 小学館:新選国語辞典、小学館、2002
[5] 日蘭学会:洋学史事典、雄松堂、1984
[6] 浜島書店:新詳日本史、浜島書店、2005
[7] 阿辻哲次:知っておきたい漢字の知識、柳原出版、2005
[8] 村石利夫:日本語漢字力がつく辞典、東京堂出版、2007
[9] 李月松:现代日语中汉字研究,上海外语教育出版社,1998
[10]聂中华:日语本科论文写作指导,大连理工大学出版社,2006
[11]皮细庚:日语概说,上海外语教育出版社,1997
[12]宋文军:现代日汉大词典,商务印书馆,1987 |
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