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水岛访谈节选

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发表于 2009-2-26 13:47 | 显示全部楼层 |阅读模式
水島 結局僕は、作品作りやスタッフワークを通して、「場作り」をしたいのかもしれないと思うんですよ。

―― 「場作り」とは?

 みんなが仲良く共存できる場、ですね。

 皆が1人ひとり、隣の人間と向き合って、相互に理解し合って距離を置くことも含めて付き合えるようになれば、それぞれの繋がりが“大きなひとまとまり”になる。皆がゆるやかにひとつにまとまれば、大きな諍(いさか)いは生まれないんじゃないかと。

―― “大きなひとまとまり”というのは、一種のコミュニティでしょうか。

 そうですね。「ダブルオー」では、それをわかりやすく「地球」というふうに描いているんですけれども。皆が「地球」という1つのコミュニティを共有していると考えて、その「場」を大事にすれば、所属の違い、立場の違いで大きく対立することもなくなると思うんですよね。

 「ダブルオー」で描いている国家間、勢力間の対立は、僕たちのいる世界、職場や学校や近所なんかで起きている諍いと似ています。イコールではないけれど、それらを反映しているのも確かです。「所属と立場の違い」は、それだけ諍いに発展しやすいという。

 作品ではここをゴールにしようという着地点も決めているのですが、登場人物それぞれが、どうしたら自分たちが住む世界の争いをなくせるかと考えて、動いていくような形にしたいと思っています。どうしたらこの世界がみんなが繋がって、豊かな、平和なものになっていけるか。国や宗教や人種という「所属」以外のところで、人は1つになっていかなきゃいけない、なろうよ、というふうに持っていこうと。

 ひとりひとりが、所属や立場を超えて隣の人と手を繋ぐことができれば、争いはなくなる、世界平和でさえ夢ではないと、僕は結構本気で信じているんですよ。

―― どんな方法があれば「ひとつに」なれると思いますか。

シンプルな関係、一対一に立ち戻る
 今の時代、世の中が複雑になっていますよね。国家間においても、利害関係の持ち方も一様ではない。どの国が敵なのか味方なのかわからないし、誰が言っていることが正しいのかがはっきりしない。世の中の仕組み全体に目を向けることが難しくなっている。

 世界のあちこちから、さまざまな不満が噴き上がってきて、そこを細かく調整につぐ調整というのが今の世界の政治で、だんだん、何のために作った制度なのかわからないものも出てくる。でもそうしないと世の中が成り立たないわけで。

 世の中が複雑で、誰もが自分ひとりの頭では把握しきれないから、自分の生活が悪くなっている理由を探したり、自分を脅かしていると想像される“象徴悪”を探したり、一方的な見方だけで政治家などを批判する。「匿名批判」も、そうした綻びのひとつじゃないかと思っているんですが。

―― 国も人も、何が正しいのかわからないから、迷走すると。ではひとつになるには……。

 世の中がもっとシンプルになればいいのにとは思います。どうしたらシンプルになるんだよと言われたら、分からないのが正直なところ。

 ただ、シンプルにするためには、最終的には一対一の関係に行き着かざるを得ないと思うんですよ。

―― やはり目の前の相手と向き合うということでしょうか。

 関係値として、「人と人」というシンプルなところに全部立ち戻るというのは、1回やってみてもいいんじゃないかなと。すごく投げっぱなしな言い方ですけど、法律なんかなくしてしまえばいいのに、国とか宗教の垣根なんかなくしてしまえばいいのに、と思うときがあります。

―― それは人と人の信頼をベースにした社会という。

 そうですね。それが「共存の場」だと思うんです。人の言葉を揚げ足取りのように取って、言った言わないでケンカしたりとか。法律も、解釈の仕方で変わってくる部分をどう明言するかでもめていたりしてね。解釈を「悪意」の方向に持っていかれないためには大変な言葉を要するけど、その厳密さで人を縛ることが幸せだとは思えないんですね。

―― 悪意を持った解釈や勘違いがなくなれば、善意の歯車が回り始めるということですか。

 そうすると最初の心根の話になってきて、みんな優しくなればいいのに、人の言動を善意に解釈しようよ、と思うんだけど。

 これもまた言うは易く、実践は難しいという話になってきてしまうんですが。

“共有地の悲劇”を避けるには
―― 「共存する場」を作るためにはどうすればよいとお考えですか。



 一番足を引っ張るのは、「自分の利益しか考えない」ことだと思うんです。自分が欲しいものを得るために、他人がどうなっても構わないという考え方はどうなのかなと。

 自分の所属するグループの利益だけ考えるのも同様だと思います。
体面を保つためとか利益を得るために、他所を潰そうとすることはないじゃないか、と。

 「コモンズの悲劇」という言葉がありますよね。共有地で自分だけの利益を優先させると、奪い合いばかりになり、結局は土地が痩せて全員が貧しくなってしまうという。

―― 苦手な相手とも手を繋ぐと、巡りめぐって自分にもメリットが返ってくると言うお話がありましたが、それと同じことが「共有地」にも言えると。

 企業間でも、小さなパイを強奪し合うよりも、それぞれの企業が自分のいる業界全体が良くなるために動いたほうが、結果的に自社も豊かになっていくという理想は周知の事実なわけですが、自由競争社会では「それはカルテルだ」と怒られちゃったり、理想を口にしている間に誰かに出し抜かれるんじゃないかと思うから、なかなかどの企業も率先してやろうとはしないし、できないわけです。

―― 「共有地の豊かさ=自分の利益/不利益になる」と直結できるイメージ作りが必要と言うことですね。

 それも「共有地」を豊かにするひとつのポイントなのだと思います。

 世の中の人々の認識を変えるのは現実には難しいけれども、「ダブルオー」の中でも、イメージ作りにトライしてみたんですね。

 沙慈(さじ)という日本人の青年を登場させたのですが、彼は、別の国で起きている戦争が、自分とは無関係なものだという気持ちでいたんです。ところが恋人が戦いに巻き込まれて傷つけられたことで、争いを起すもの全てを憎むようになる。沙慈はガンダムに乗る刹那たちを非難するわけですが、そんな彼自身、戦地から逃げるためにした行いが、結果としてたくさんの人を傷つけることになってしまったというエピソードを入れました。

―― 自分の行動は、巡りめぐって“職場の隣の席の人”に関係してくるということですね。

「全く無関係」はありえない、その時取るべき態度
 自分のいる場所の延長線上で起こっていることが、「自分とは関係ない」ものであるはずがないと思うんですよ。

 自分だけが豊かで安全であればそれでいいという落ち着け方は、世界が共有地である限りできないのでは、と。「ダブルオー」ではそういうことを投げかけてみたかった。じゃあ、あなたの大事な人が危険な場所に行ってしまったらどうする? もうそれで他人事じゃなくなるよ、という実感を少しでも視聴者に感じてもらえればと。

―― 仮に、世界の誰もが「自分の居る場所はすべてが共有地だ」という認識を持ったとして。ここからはシミュレーションになりますが、「共有地」を成功させるためにはどのようにすれば良いと思いますか。

 「自分のリスクは自分で引き受ける」。そうすると、全体が向上していくと思うんですよ。

―― リスク、と言いますと?

 自分のやることに対して責任を負う態度、だと思います。

 「共有地で自分の利益だけを追う」状態というのは、単に金銭の問題ではないと思うんですよね。

 職場というひとつの共有地があって、そこで進んでいるプロジェクトが滞るのは、いろんな人が自分の利益だけを追求するからだという話があるとして。

 その時の個人的な利益というのは、金銭や出世以外にもあると思うんですよね。特に今は出世が第一義の人は少なくなっているし、ポストの上昇が金銭に直結しない場合もある。それなのに、プロジェクトという船が座礁してしまうことがある。

―― その場合、その個人が追求している「利益」とは一体何だと思いますか。

絶対正義が船を沈める
 「俺の考えややり方が絶対正しいんだ」という心ですね。自分が絶対正義であると主張することが、他人の価値観ややり方を全否定することになる。船頭多くして何とやらと言いますが、己の正義がいろんなものの足を引っ張っていると思うんですよ。



 前に、今の時代には、「正義でありたい欲望がある」と言いましたけど、俺が正義だという主張も欲望の形のひとつであって、己だけの利益を追求する行為とほとんど変わらないと思いますね。

 ……逆に言えば、僕自身にも「正義でありたいという欲望」があるからこそ、こういうところにこだわってしまうのかもしれません。

 だからこそ、「ダブルオー」では絶対正義などない、という描き方をしたかったんです。異なる価値観をそれぞれ持ったたくさんの勢力を出したのも、そういう理由からでした。ある価値観の正しさを主張する勢力があれば、逆の価値観が正しいと思う勢力もあるというような。

 主人公たちは、ガンダムという兵器を使って各地に武力介入をして戦争根絶を目指すのですが、別の地点にいる人から見れば、「テロ行為」にしか見えないという。

 「自分がやった“正義の行い”からも、他者の恨みや間違いは生まれてくる」という話なんですね。

秩序は理解から生まれる
―― 昨年、米国で大ヒットした映画「ダークナイト」みたいですね。米国がはまりこんでいるのがまさにそれでしょうか。「正しさを追求する行為」が、共有地を荒らす可能性はおおいにありますね。

 何が正しいのかを追求する行為自体は大切で必要なことだと思うんですが、自分の答えが絶対ではないわけで。

 自分が、自分勝手な利益追求者になっていないか、絶対正義の罠に陥っていないかどうか。他の人の意見を聞くことで、相対的に自分の立ち位置がわかる気がします。僕がいろんな人の話を聞くようにしているのも、そういう理由なのかもしれないですね。

―― 自分が間違っているのではないかという検証や、間違っていたら直そうという行為は、自分がリスクを引き受ける、責任を負う態度でもあると。

 自分の利益追求者ばかりにならないように、共有地には「秩序」が必要で。

 秩序は、共有地の住人の共通認識から生まれるわけですが、その認識は、自分と相手が互いに理解し合うことで共有できると思うんです。

 相手の価値観を受け入れることは面倒だしストレスも生じるけど、リスクをひとりひとりが少しづつ負うことで、共有地は豊かになっていくし、結果として自分にも、個人で追求するものよりも、もっと大きなリターンが返ってくる。

 みんなが同じ場を共有しているんだから、自分の利益だけ求めるのではなくて、自分でもリスクを背負って、他人の価値観も容認しながら、みんなで手をつないで生きていこうよというのが僕の理想なんですよ。

手を繋ぐことはできるか
―― そういう人たちが増えれば、「こんなやつと手を繋ぎたくないよ」ということはなくなるでしょうか。

 なくならないんじゃないですかね(笑)。

―― なくならない?

 それはだって、言っている僕自身が常に、「自分がそうなればいいのになぁ」と言いながら、ならないですからね。

 だから「ダブルオー」も、主人公たちが(ガンダムという)武力で戦争を根絶しようとする、矛盾した設定になっているんですね。武力で平和をもたらそうというのは、彼ら自身も、矛盾した行いだとわかっているわけです。強大な武力を持ちながらも自分の無力さに気づく、というお話でもありますしね。

 でも、若い人たちにこうしたシミュレーションを見てもらって、自分の周りのことを考えるきっかけになれば、この作品を作った意味は僕的にはあるわけです。

 ……だってどう考えても、この(武力介入という)やり方だと平和は来ないと思うんですよ(笑)。

その欲望を、否定する
―― そうしますと、主人公たちはいわゆる「ヒーロー」にはなれませんよね。だとしたら、お話を見ている人たちのいろいろな「欲望」の落ち着け先はどうなるのでしょうか。

 完全無敵のヒーローは成立しません。しちゃいけないんですよ。

 マイスター(ガンダムの操縦者)たちが、だんだんと何かを成し遂げる。でも、成し遂げたけれど、その先はどうなるの? みたいな終わり方になると思いますね。だってほら、世界って変わらないじゃないですか。
「これが彼らが変えた世界です」なんて提示してしまうと、誰かすごいヒーローがいれば問題は解決するというふうにとらえられてしまう。それはリアルじゃないし、真実ではないですから。



 でも、ガンダムマイスターたちが努力して成し遂げて変わった部分、「世界の中でこのぐらいのことは起こるでしょう」というものは提示します。そこは、ちゃんと見せてあげたいなとは思いますね。

 スーパーヒーローの奇跡の力ではなく、大勢の人々の、世界の規模からしたら小さくしか見えないような働きかけが、少しづつ連鎖して世界を変えていく、それでいいんだと思います。

 作品を見ている人が「じゃあ、こういうすごいヤツがいればいいんだな」と言って、物語の本をパタンと閉じてしまうのではだめなんですよ。一人一人が、自分自身がリスクを取ってそうならなきゃいけない。「すげえよ、ガンダムマイスター」で終わっちゃいけないんですよ、この作品は。


(水島監督インタビューは今回が最終回となります)

[ 本帖最后由 桃園ラブ 于 2009-2-26 13:53 编辑 ]
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发表于 2009-2-26 13:54 | 显示全部楼层
水島精二,没听说过
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发表于 2009-2-26 14:26 | 显示全部楼层
求翻译
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发表于 2009-2-26 19:20 | 显示全部楼层

在这个世界,神是这么说的

水岛
说到底,通过创造这部作品以及和工作员共同作业,我所想要干的事也许不过是创造出一个场所出来。

——创造场所?
就是一个大家可以和睦共处的场所。
如果每个人都能面向他人,加深相互理解的同时又能保持一定距离地交流的话,那彼此间的联系将融合为一个大我。而这样和谐地融为一个大我的话,那也就不会产生大的分歧了。

——所谓一个大我,是指一个共同体么
没错,在OO中显而易见地将其描绘成地球。我想如果大家能将地球当作一个共有的集合体,并珍惜这个场所,即便所属不同,立场不同,也就不会有强硬的对立了。
OO中所描述的国家间的,势力间的对立,与我们的世界,工作,学校,邻居间所发生的争吵是很象的。这并不是说它们间是划等号的,不过确实是如此反映的。“所属与立场的不同”很容易发展成分歧。
虽然作品中存在着完结点,但我想做成[登场人物各自都在考虑着如何才能消除自身所在世界的纷争而持续努力着]这样一种形式,以及怎样才能改变成一个相互联结,富有,和平的世界。在国家宗教人种等“所属”以外的地方,必须将人们合为一个大我。
如果人人都能跨越所属和立场,牵起旁边人的手,那纷争也就能消除了。世界和平也不再是梦了。我是很认真地如此相信着的。

——用什么方法才能“合而为一”呢
单纯的关系,返回一对一。
当今时代,世间变的越发复杂。即使在国家与国家间,维持利害关系的方法也不一样。不知道哪儿个国家是敌是友,分不清谁说的才是正确的话。全部看清这世间的结构是很难的事情。
正因为世间复杂,任谁凭借自身一人都无法把握,所以才会去寻找导致自己生活变差的理由,寻找被想象成威胁自身的象征性的恶意。以一方见解去批判政治家,我认为所谓的匿名批判也是那样做的破绽之一。

——是说国家也好人也罢,都因为无法分辨是非真假而在迷茫中吧。那如何合而为一…
我认为世间能再单纯一点就好了。非要问我怎样做才能变得单纯的话,老实说我也不清楚。
只不过,为了变得更加单纯,一对一的关系是不得不到来的最终关系。

——果然还是说要面向眼前的对手么
[全都回归“人与人”这样单纯关系]这样的事,真想试一次啊。放句很不负责的话,有时候我真希望法律没了更好,国家和宗教的界限什么的没了更好。

——那是将人与人间的信赖作为基准的社会么
是的,我认为那就是“共同的场所”。人们会因为对说话内容吹毛求疵,因为说了或者没说的问题吵架。会为要如何声明法律,辩解所改变的部分而争论。为了不将辩解带向恶意的方向,慎重的语言是必须的。
但我不认为靠这份严谨来束缚住人是幸福的。

——恶意的辩解与误会都消除的话,善意的齿轮就会开始转动么
这样的话,就能变成最初的心底话,将人们的言行做善意的辩解,让大家和睦共处。
不过这也是说起来容易做起来难的事。

如何避免“共有地的悲剧”
——为创造共存的场所要怎么做才好
我认为最扯后腿的就是[只考虑自身利益]这样的想法。[为了得到自己想要的东西,其他人怎样都与我无关],这样的想法要不得。
[只为自身所属的组织谋求利益]的想法也是一样的,维护名誉也好,谋求利益也罢,我觉得没必要靠去击败他人来获得。
“共有地的悲剧”就是指,在共有地上只寻求自身的利益,不断争夺,最终导致土地贫乏全体贫困的悲剧。

——有人说,与讨厌的对手联手的话,也会找回自身的价值。这对共有地来说是一样的吧
与其争夺企业间小的利益,不如为了改良企业所在的整体业界而努力。其结果也会导致自身盈利。这种理想是众所周知的事实,但是在自由竞争的社会中,总有人会大斥这是垄断的手段,将理想挂在嘴边的同时,就会被谁抢先。抱有这种想法,所以就没有企业率先施行。

——有必要制造一种[共有地的富裕=自身利益/不利。]的印象。
这也是使共有地富有起来的重点之一。
虽然在现实中想要改变世间人们的观念是非常难的,但在OO中也有所尝试。
作品中有名叫沙子的日本青年登场,他最初认为其他国家的战争是与自身没有关系的。但是当恋人被卷入战争导致受伤后,沙子开始憎恨一切战争的起源。所以沙子会谴责乘坐gundam的刹那。但是,这样的他在从战地逃离的行为,导致了很多人死亡,也有这样的插曲。

——自身的行动,绕来绕去还是会和工作岗位中的人发生关系吧
“完全没关系”是不存在。关键是那时的态度
在自身所在的场所的延长线上所发生的事情,不可能是与自身没有关系的。
只要自己富裕,安全了就好。这样的想法只要是在共有地就是不行的。OO就是想映射这样的事。如果你身边重要的陷入危险的场所了,你要怎么办,这已经不是与己无关的事了吧。我想把这样的实际感传达给观众。

——假如,每个人都有[自身所在的地方全部是共有地]这样的意识。只是模拟,成功创立共有地,需要如何做呢。
那就是[自己的风险自己承担]。这样的话人们就能前进了。

——所谓的风险?
就是对自己所做的事负责的态度。
[在共有地只寻求自身的利益]这样的状态,已经不单是金钱的问题了。
工作岗位也是共有地之一,其中有时会有工作计划停滞不前的情况,这也是不同的人在追寻自己的利益所导致的。
这时个人的利益就是金钱或者地位以外的了。特别是现今,以出人头地为首要目标的人越来越少。也有地位的提升与金钱不直接挂钩的情况。因此,工作计划这只船就会触礁了。

——那有情况下,个人追求的利益究竟是什么?
绝对正义会让船沉没
就是“我所做的事是绝对正确的”这样的心理。主张自己的绝对正义,全盘否定他人的价值观。
以前也说过,希望正义的话就要有欲望。我认为正义的主张也是欲望的形式之一,和追求自身的利益行为是基本一样的。
反过来说,也许正因为我自身有“希望正义的欲望”,才会拘泥在这种地方。
所以说,我想描绘的是,OO并非是绝对的正义。作品中之所以出现具有不同价值观的势力,也是这个原因。有主张某个观点是正确的势力,也有认为其相反的观点才是正确的势力。
主人公等人使用名为GUNDAM的兵器对世界各地进行武力介入,以来达到消除纷争的目的。但在别人眼里看来,这不过是恐怖主义行为。这正是“行使自身正义的行为,会产生他人的怨恨与争论”

秩序由理解而生
——去年在美国,电影蝙蝠侠(黑骑士)取得大成功。美国陷入的不正是“追求争议的行为有可能导致共有地荒芜”这样的境地么。追寻什么是正确的行为自身就是很重要切必要的事情,但是自身的答案却不绝对。
究竟自己有没有变成只追求自身利益的人,是不是陷入绝对正义的陷阱了,只有不断寻求他们的意见,才能相对察觉到自身的位置。所以我才会听取不同的人的见解,理由也正是如此。

——就是说,验证自己是不是错了,错了以后加以修正的行为就是承担自身风险,负责的态度。
为了不成为自身利益的追求者,在共有地“秩序”是必要的。
秩序由共有地的居民共同的意识所产生,这种意识是自己与别人相互理解后便能产生。
虽然接受对方的价值观是很麻烦也很不适的,但将风险一一慢慢承担起来的话,共有地就会富有起来,结果比起自身或个人的追求,会得到更大收益。
正因为大家共有同一个场所,所以应该不仅仅追求自身的利益,承担自身的风险,容认他人的价值观,牵着大家的手一同生存下去,这是我的力量。

互相牵手的事,能做到吗
——这样想的人增加的话,[不想与这家伙牵手]的人就会消失么?
我想是不会消失的吧(笑

——不会消失?
那是因为,说这话我自己也经常会一边说着“自己能那样做就好了”结果却不做呢。
所以OO的主人公,也设计成靠GUNDAM武力根除纷争这样一样矛盾的设定。靠武力谋求和平,他们也察觉到自身行为的矛盾。拥有强大武力,并察觉到自身的软弱。
不过,年轻人通过看这个模版后,如果能以此为契机开始考虑周围他人的事的话,创作这部作品就对我来说有意义。
不过不论怎么想,这种武力介入的方法也是带不来和平的(笑

否定那种欲望
——这样,主人公等人就不能成为所谓的英雄。
完全无敌的英雄是不成立的,是不能成立的
GUNDAM驾驶员一步步在完成使命,但是即使完成了,之后又会怎样?会是一个想看到的结果吧。因为世界是不变的。
如果提示[这就是他们改变的世界]的话,就会当成“有某个了不起的英雄在的话,问题就能解决了。”这样被接纳。这是不现实的,也是不真实的。
但是,GUNDAM驾驶员们通过努力所完成改变的部分,会有[在世界中会有这样的事情发生]的提示。那正是想让大家好好看的地方。并不是靠超级英雄的力量,而是凭借着许多人,以世界的规模来看这些行为很渺小,但不断将其连锁起来,世界就会改变。
不能让看过这作品后的人只说出[如果有这样了不起的家伙在就好了]后就合上剧本。
一定要让每个看过的人都想要去承担起自己的责任。光光以[哇,GUNDAM驾驶员好牛X啊~~]这样就结尾了的话,是不行的。

[ 本帖最后由 ロックオン 于 2009-2-26 19:29 编辑 ]
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发表于 2009-2-26 19:26 | 显示全部楼层
下午还有别事,断断续续翻的,也有理解不能的地方,也没检查。多担待吧

反正看过以后,俺的感想是。俺的仇估计是报不成了
首先就说他对这“场”的感念,已经可以猜想到即将到来的对话是一个很扯的东西了
俺也明白刹那为什么变成一个会脑电波,会细胞再生的怪物了

敢情俺们坐的那不叫GUNDAM,那叫EVA啊
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发表于 2009-2-26 19:42 | 显示全部楼层
感谢感谢~~~
莱尔辛苦啦
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发表于 2009-3-1 20:51 | 显示全部楼层
....对了 新钢炼监督还是不是水岛啊
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