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[熊猫希望] 春秋戦国史 一回补完 1 2 3

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发表于 2007-9-9 17:17 | 显示全部楼层 |阅读模式
その1




さて、というわけで新コーナーの萌える春秋戦国史が始まるわよ。

えーと、私たちが呼ばれたということはいつもの通り司会役兼進行ということでいいのか?

そうね、今回はオープニングということで今までと同じ形式だけど次回からはあなたたち2人に司会を任せるわ。

あれ、咲夜はどうするの?

私は次回から役を貰ってるから。

うわずるっ!

心配しなくてもあなた達にもちゃんと出番は回ってくるわよ。

うーん、ならいいか。

さて、というわけで萌える春秋戦国時代を始めるわね。最初は春秋時代の前の西周王朝の崩壊から始めるわ。この西周王朝は中国で実在が確認された2番目に古い王朝よ。紀元前11世紀から繁栄を続けていたのだけど、12代目の幽王の時代になるとそろそろ衰退の兆しが見え始めたの。

幽王
西周王朝第十二(十三)代君主※。在位年は前781~771年。名は宮涅(涅)。周の宣王の子。
西周王朝最後の王。褒似を寵愛し、太子の宜臼とその母申后を廃した。そのため申后の父申侯に攻められ、驪山のふもとで殺された。というかリアル狼少年?

あぁ・・・世はなかなか治まらずに気が滅入ることばかりだ。何か楽しいことはないだろうか。

陛下、陛下は先日美しい后を迎えられたばかりではありませんか。

あぁ、褒似のことか。しかしあの女はは何故か笑わぬ・・・美しいのは間違いないのだが。

虢石父
虢国の君主で、周の幽王の卿士。名は鼓。卿士に任じられるが、口がうまく、悪賢く、利を好んだため人々はこの人事を怨んだという。

褒似
幽王の夫人。褒は出身国の褒、姒は褒の姓。褒の国から周の幽王に献上され、寵愛を受ける。褒姒の生んだ伯服が太子になったため、廃された申后の父申侯に攻められ、驪山のふもとで捕らわれる。その後は不明。傾国の美女。笑わない美女として有名。

笑わないですと?では家臣を集めて意見を聞いて見ましょう。

国中から芸人を呼び集めましょう!

珍しい金銀宝玉を送られては?

優れた音楽家を使って演奏させては?

・・・・・・

そんなことはもうやっている!

(やってたんですか。)それでは・・・そうですな、褒似様の子伯服様を太子とするというのはいかがでしょうか?

ちょ、ちょっとお待ちを!

む、その声は鄭桓公。

鄭桓公
鄭国初代君主。在位年は前806~771年。名は友。周の徐王の子、宣王の弟。周の宣王に鄭に封じられる。名君として民に慕われるが、周の幽王とともに申候・犬戎に殺された。

陛下、陛下には既に正室の申后様と太子の宜臼様がいらっしゃいます。落度も無いのに皇后と太子を廃するのはいかがなものでしょうか。それに父親の申候の恨みを買うことになります。

・・・・・・いや、それで褒似が喜ぶならそうしよう。

陛下!?

というわけで、申后様、宜臼様。あなた方は実家へお帰りください。

申后
幽王の夫人。申侯の娘。一時険悪なものとなっていた周王室と申国の修好のために、当時太子であった幽王に嫁いだ。宜臼を産み、幽王の正室となるが、幽王が褒姒を寵愛するようになると后の位を廃され、申に戻った。

宜臼(後の平王)
東周王朝初代(周王朝第十三代)君主。在位年は前770~720年。名は宜臼。幽王の子、母は申后。
幽王の太子であったが褒姒を寵愛した幽王に廃され、母と共に申に逃れる。幽王の死後、申で即位し、東の洛邑(洛陽)に移る。

そ、そんな~、なんでなんですか~!?

いくらなんでもいきなりすぎですよ?

・・・王の命令です。


えぇ~~!?

なな、なんですって!?娘と孫がいきなり王宮を追い出されたぁ!?あんの馬鹿王め、いつか思いしらせてやるわよ!

申侯
申国の君主。
西周の有力諸侯、申の君主。幽王の正室であった娘の申后と外孫の宜臼が廃されたため、西戎や犬戎を誘って鎬京を攻める。当初は鎬京で孫の宜臼を即位させる予定であったが、鎬京が破壊されてしまったため、都を東の洛邑に移した

なんという馬鹿殿様・・・これは間違いなく滅亡フラグ。

これで国が乱れないほうが不思議ね・・・

(スタッフの笑い声)

こんなことがあって西周王朝の実力者の一人申候は幽王を恨むことになったの。そしてさらに決定的な事件が。

・・・・・・

ううむ・・・褒似の子を太子に立てたがまだ褒似は笑わぬ・・・一体どうすれば。ん?何故烽火が上がっている?

ちなみにこの当時烽火は急を告げる合図で、近隣の諸侯はこれを合図に兵を集めて西周の首都鎬京(後の長安。現在の西安)を防衛することになっていたのよ。
諸侯たち

む、アレは緊急事態を告げる烽火か!?

緊急事態だ!

急げ!兵を集めて鎬京に向かうのだ!
到着後

・・・あれ?敵襲かと思ったのに・・・平和そのもの。

これのどこが緊急事態なんだ?

・・・あー、その、すまない、何かの手違いで狼煙が上がってしまったようなんだ。



ヽ(・ω・)/ズコー
\(\ ノ

・・・(くすくす)

・・・ん?!笑った、 褒似が笑った!

・・・う、何かいやな予感。

さて、これ以降幽王は褒似を笑わせるために何度も烽火を上げさせたの。最初は律儀に駆けつけていた諸侯たちも次第に馬鹿らしくなって駆けつける数はどんどん減っていたわ。

まぁ、当然よね。

・・・陛下、戯れに烽火を上げるのはやめたほうがいいかと。このままではいずれ大変なことになります。

・・・・・・

しかし、ここで以前から恨みを抱いていた申候が西方の騎馬民族犬戎と手を組んで鎬京を襲撃したの。

ふふふ、今こそ恨みを晴らす時!全軍、鎬京目指して突撃ー!




ウラーーー!!!

一方鎬京では

何!?申候が犬戎と手を組んで攻撃してきた!?早速烽火を上げよ!

・・・来てくれますかねぇ・・・
ところが諸侯たちは

え?また烽火が上がった?

馬鹿馬鹿しい、放っておきなさい。

王の道楽でいちいち兵を動かせるか。

こんなわけで諸侯たちは誰一人駆けつけずに鎬京は陥落。幽王は鄭桓公と一緒に殺されて西周王朝は滅亡したの。

死ねぇぇぇ!

は、話せばわかる!

陛下、それは死亡フラグでs

問答無用っ!


うわぁぁ!

くっ、無念・・・

ところで私の立場は?

それが犬戎に連れ去られたとか自殺したとか斬り殺されたとか・・・まぁ、どれか好きなのを選んで。

どれもろくなのじゃないわね・・・
一方申候のほうは

ちっ、しくじったわね・・・犬戎と手を組んだばかりに鎬京は火の海じゃない・・・せっかく宜臼を王に立てようと思ったのにここでは無理ね。都を洛陽(現在の洛陽市)に移しましょう。

というわけで申候は諸侯と相談して洛陽に都を移し、太子宜臼を王に立てたの。これが東周王朝よ。即位した太子宜臼は周平王と呼ばれたわ。ただ、これによって周王朝の権威は地に落ちて東周王朝はほとんど有名
無実となるわ。これから有力諸侯が鎬を削る春秋時代の始まりよ。

ふむふむ。これでオープニングは終了かしら?

いえ、もう少しだけ話を進めるわ。鎬京が陥落したときに幽王と一緒に殺された鄭桓公だけど、彼は本国に掘突という息子がいたの。

掘突(後の鄭武公)
鄭国第二代君主。在位年は前770~744年。名は掘突。桓公の子。東虢や鄶などの国を滅ぼし、申候の娘を夫人に迎えるなど鄭の中原における基盤を築いた。また、平王を援けた功績から周の司徒に任命され、後に卿士となった。

何!?この前の烽火は本当で鎬京に犬戎が殺到しているだって!?いかん、父上が危ない、兵を集めて出撃する!

いえ、もはや間に合いません。幽王陛下とお父上の桓公が戦死されたとの報告が届いています。

くっ、間に合わなかったか・・・都城の新鄭(現在の河南省新鄭市)に戻るぞ。

こうして掘突は即位して鄭武公と称したの。彼は西周の滅亡の混乱に乗じて勢力を拡大したわ。

よし、まずは東周の実力者申候の娘を后に迎えるぞ。

すごい!

さらに隣接している小国の東虢を攻撃する!

早い!

ついでに同じく小国の鄶も併合するぞ。

ひどい!

衛兵!

(スタッフの笑い声)

・・・何よこのノリは?

気にしたら負けよ。さて、そんなこんなで鄭武公の10年、夫人の武姜との間に太子の寤生

が生まれたの。ところが・・・

武姜
武公の夫人。申候の娘。武は夫の諡、姜は生国申の姓。武公に嫁ぎ、寤生と段を生んだ。しかし、弟の段を溺愛し反乱の原因をつくった。

ううー、ううー、死ぬーー!?

だ、大丈夫だ、武姜よ、先ほど元気な息子が生まれたぞ。

うう・・・なんでこんな酷い目に・・・え?足から先に生まれた逆子だった!?それでこんな苦しい思いする羽目になったの!?

じつはこの寤生というのは逆子という意味なの。日本なら逆子とでも名前につけるようなものね。

また変な名前を・・・

そして1年後、再び武姜は男子を出産するわ。今度は安産で子供は段と名づけられたわ。武姜は長男寤生よりも次男の段を溺愛するようになっていったの。

ねぇあなた、太子寤生を廃して次男の段

を太子に立てませんか?

いや、寤生に特に落度があるわけでなし、それに長男を廃して次男を立てると騒動の元になる。駄目だ。

ううう・・・

しかし、そのまま城に置くのも・・・そうだ、段を共城に封じよう。

え、あんな辺境の小さな城の!?

それでも一城の主だろう。

そんな・・・

そんなわけで寤生は無事に太子として育ったわ。これが後に春秋の小覇と呼ばれる鄭荘公よ。そして鄭の武公は在位27年で世を去り、いよいよ荘公の時代がはじまるんだけど、今回はここで一息入れるわね。

おお、どうなるか楽しみだぜ。

寤生(後の鄭荘公)
次回からの主人公。春秋の小覇と呼ばれ、鄭の最盛期を築く。
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 楼主| 发表于 2007-9-9 17:19 | 显示全部楼层
その2



さて、というわけで萌える春秋戦国史の2回目だけど・・・

あれ、今回はいつもよりあっさりした始まり方だな。

作者が単に慣れてないだけでしょ。今までメインで話してた咲夜がいなくなったから。

なるほど。で、ええと、前回は確か西周の滅亡と鄭の発展までだったな。

そうね、これから先数回は主に鄭が主人公的位置づけになるわ。今回は春秋の小覇鄭荘公が即位したところから始めるわよ。

鄭荘公
鄭国第三代君主。在位年は前743~701年。名は寤生。武公の子、母は武姜。鄭の最盛期を作り上げた名君。周の卿士であったが、後に周室と対立。繻葛の戦いで周王の軍を破った。覇者のさきがけといっていい人物。

武姜
武公の夫人。申候の娘。武は夫の諡、姜は生国申の姓。武公に嫁ぎ、寤生と段を生んだ。しかし、弟の段を溺愛し反乱の原因をつくった。

寤生(荘公の本名)よ、話があります。

これは母上、ご機嫌麗しゅう。話とはどのような?

弟の段のことです。我が夫武公は段を共城に封じましたがあのような小城ではあまりにかわいそうです。せめて京城(現在の河南省滎陽市)に封じなさいな。

共叔段
鄭の公子。名は段。武公の子、母は武姜。別名京城の大叔。武姜に寵愛される。武公が亡くなると京に封じられ、次第に勢力を拡大、反乱を起こす。

え、京城ですか・・・確かにあの地は副都城で人口も多く、豊かな地だけど、しかし・・・

寤生よ、母の言うことが聞けないのですか?私はあなたをそのような親不孝に育てた覚えはありません!

・・・わかりました、でも手続きなどもあるので少し待っててね。

・・・というわけなの、祭足よ、早速準備を整えてね。

祭足
鄭の卿。字は仲足。祭仲とも呼ばれる。鄭の大夫で、後に卿となる。元は国境を守る番人(封人)であったが、荘公の寵愛を受け卿の位にまでのぼった。

殿下、お待ちください。京城は地広くして民多し。国に二君があってはなりません。ましてや武后(武姜)の魂胆は明らかでは・・・

・・・母上の望みなのだから仕方がないでしょう。

それでは母上、行って参ります。

段よ、そなたの兄上はこの度の転封を快く承諾したわけではない。いいですか、京城に入ったら兵を集めて機を待つのです。手引きもすれば内応もこの母が引き受けましょう。そなたを鄭の国君にしなければ母は死んでも瞑目できないのです。

こうして段は副都城の京城の城主になったわ。これ以降段は京城大叔と呼ばれるの。そうして20年ほど兵を整え、周辺を支配しようとしていたのだけどあるときに支配を拒否した都市を攻撃して陥落させたの。各都市の守将はあわてて新鄭に報告に向かったのよ。

・・・以上が事のあらましです。我々ではとても歯が立たずに逃げるしか・・・

これは紛れもない反逆だ!討つべし!

公子呂
鄭の大夫。字は子封。桓公または武公の子。荘公に共叔段を討つよう進言し、共叔段が乱を起こすと兵を率いて京城を攻撃した。

公子呂よ、いきなり結論を言っても分からない。

いや、事態は明白です。段は日夜兵を訓練し法に反して領土を広げた。明らかな謀反であります。よって討つべし!

単なる勇み足でしょう。大叔は国母の子で寡人(王候の自称)の弟ですよ。

いえ、主公と段がご兄弟なのは存じています、しかし主公が段を赦しても段は主公を赦さないのでは・・・

言葉が過ぎるわよ、確固たる謀反の証拠が挙がったわけではないじゃないの。

まぁまぁ。お二方とも落ち着いてください。とりあえず今日はこれにてお開きということで・・・

・・・・・・

・・・殿下、お話があります。

ん?

そんなことがあって数ヵ月後にこんなことがあったんだぜ。

ふと思い出したけど、そろそろ洛陽に参勤しなくてはならないわね。一月後の吉日に洛陽に向かう事にしましょう。

なんですって、寤生が洛陽へ向かう?これはチャンス、早速段に伝えねば。
一月後、新鄭を攻撃せよ。城門に内応準備完了を知らせる白の旗を上げる。

さぁ、これを段に届けるのです。

はっ!

・・・よし、行け、城門を出たところで襲って密書はこちらに持ってくるのよ。

はい。

・・・ふぅ、とりあえず城門は出たか・・・っ!?

覚悟!


何・・・うぉっ!?


任務完了しました。

よし、ではこの偽手紙を届け、返書を受け取ってくるのです。これで向こうの動きは筒抜けですね・・・
そして京城では

ふむふむ、一月後か・・・よし、公孫滑よ、この財宝を持って北の衛国に兵を借りてきて。

公孫滑
鄭の公孫。共叔段の子。父に従い荘公と戦うが、敗れて衛に救援を求めた。子孫が鄭にいることから、その後許されて帰国したものと思われる

はい、分かりました。
そして一月後

兄、荘公が洛陽へ参勤するため、私が留守居役を仰せつかった、総勢を率いて新鄭に向かう!




ははっ!!
一方京城近辺では

ふふふ・・・こっちが兵を京城近くへ潜ませているとは気づいていないな。一気に京城を落とす!




ウラーーー!!!!


た、大変です、京城が!

何?!京城が公子呂指揮下の軍に落とされた!?急いで反転、奪回するぞ!

急いで部隊を展開させなさい!


全軍、突撃ー!




ウラーーー!!!!

な、何!?後方に部隊が・・・

こ、このままでは包囲されます!

くっ・・・共城まで後退する・・・

敵軍、後退しました。追撃戦に移ります。

うむ・・・
そして共城

完全に包囲されたか・・・

殿下、もはやこれまでかと・・・

母上!私は一体母上に愛されたのか、呪われたのか?しかしいずれにしてもおさらばです!


む、城門が開きましたぞ。

なに?段はどうしたのだ?

それが、自ら命を絶たれたとのことです・・・

なんということ!母上の所業とはかくなるものか。断じて黄泉に至るまで相見えないぞ。(死ぬまで会わないという意味)
そして新鄭では

祭足よ、外が騒がしいようですが何事ですか?

主公の弟君が反乱を起こされたのです。

な、なんですって?それで・・・

ご安心ください、乱は鎮められ弟君は自害されました。

え!?そんな・・・

なお、主公よりあなたを頴の地に送るようにと仰せつかっております。ご準備を。

・・・・・・
一方衛へ向かった公孫滑は

何だって、既に父上は戦死された!?  こうなれば衛君に頼んで兵を出してもらうか・・・

衛桓公よ、鄭荘公は我が叔父に当たる人物ですが我が父段を殺し、実母を幽閉する非道な人物です。どうか父の敵を討つために兵をお貸しください。

衛桓公
衛国第十三代君主。在位年は前734~719年。名は完。衛荘公の子。

なるほど、鄭君の非道は赦しがたい。力を貸そう。

こうして衛軍が鄭に攻め込むことになったの。一方鄭の側では・・・

さて、諸君、衛軍が国境を越えたとの知らせがあったがいかがいたすべきかしら?

どうせ衛軍には大した戦意はありますまい。この機会に段の小倅を斬って禍根を絶つべきです。

いや、そこまでしなくとも衛君に書を送り真実を説明すれば兵を引き上げるでしょう。

なるほど、そうしましょう。

・・・というわけで、これが我が主荘公からの親書です。

・・・なんということだ!よし、すぐに兵を引き上げよ!

これで鄭のお家騒動は一件落着したわ。ただ、その代わり洛陽の方で不穏な動きが出てきたの。もともと鄭荘公は父の後を継いで周の卿士に任じられていたんだけど全然洛陽に顔を出さなかったの。それで周平王は怒っていたわけね。

確かにそれは軽く見られていると考えても仕方がないな。

むう・・・なんで鄭伯(鄭の爵位は伯爵)は全然洛陽にこないのですか、いっそ罷免してしまいましょうか・・・

この手の噂はいつでもすぐ広まるのが面白いところね。そして卿士罷免の噂は鄭の都城新鄭まで届いたわ。

何ですって、この私を罷免する?どうせ名ばかりで大した仕事もないくせに!形ばかりの王朝の仰々しい職位なんて惜しくもないけど罷免とは何事!こっちから辞表をあの宜臼の小わっぱに叩きつけてやろうかしら?

周朝の「天子」をつかまえて小気味よく小わっぱなどと言われましたね。

そうよ、親戚でもなければあんなの見向きもしますか。

でもその小わっぱの一挙手一投足に腹の虫が収まらないではどうしようもないでしょう。

それは現実に彼が罷免権を握っているから・・・

殿下、ご安心ください。あの鎬京炎上以来周朝の権威と力は地に落ちております。つまりいまや周朝はただの一諸侯国に過ぎません。そんな権威は似非権威です。崩すのに造作もありません。

・・・一体何をしようというの?

ちょうど今は春で麦が実っています。

どういうこと?真っ直ぐ言って頂戴。

いえ、直截に言っています。天子の膝元から麦を刈り取って来ましょう。

こうして祭足は鄭軍を率いて周の街温邑まで略奪に出かけたんだぜ。

よーし、この辺でいいでしょう。早速麦刈りをはじめなさい!



ははっ!

なっ! 何をするだァーーーーーッ ゆるさんッ!

おや、これは温邑の代官殿。

祭足殿、鄭の大夫が何ゆえこのような狼藉を働くのか!?

いえ、ちょっと鄭が凶作でね。少しばかり麦を借りようと思っただけよ。

馬鹿な、略奪は赦さない!

ふぅん?ならば腕づくで止めるとでも?



ギロリ

くっ・・・

こうして祭足は刈り取った麦を積んで悠々と新鄭に帰還したわ。しかも同じ年の秋に今度は洛陽城下から稲を刈り取って行ったの。周平王はこれに成すすべもなくこの冬に在位51年で没したわ。これ殆ど憤死に近いんじゃ・・・

私こんな役ですかー!?

ちなみに周平王の在位があんまり長かったせいで皇太子は既に死んでたりもするんだけどな。仕方がないから孫の姫林が王位を継いで周桓王を名乗ったぜ。

周桓王
東周王朝第二代君主。在位年は前719~697年。名は林。平王の孫、洩父の子。父の洩父が亡くなったので、平王の太子(太孫)となる。往時の力を失ってしまった周王室の復権を望み、諸侯でありながら大いに力を振るう鄭の荘公を嫌い、繻葛において鄭と戦う。しかし、大敗して周王室の権威をさらに失墜させてしまった

なんか配役からして・・・いや、まぁ、いいか。

さて、そんなこんなでとりあえず鄭にはまた平穏な日々が戻ってきたの。

・・・・・・

(・・・殿下はこのところひどく寂しそうに見えるわね。やはり実の母を幽閉したのを後悔しているのかしら)

こんにちはー。

おお、これは潁考叔どの。本日はどのような用件で?

潁考叔
鄭の大夫。前712年没。潁谷の封人。荘公と武姜を和解させ、孝子として称えられる。

辺境の情勢報告に。とりあえず今のところは平穏無事ですね。

それは良かった。あなたたちが頑張ってくれているおかげで都のものは安心出来るというものです。その功を称えるために宴を賜りましょう。・・・おや、なぜ焼肉を包んでいるのです?

いえ、我が家は貧乏しておりますので母にこのような香ばしい肉を食べてもらうことなど出来ません。それでせめて宮殿で宴を賜った光栄を母と分かち合おうと考えたのです。

・・・貴方はいい母を持って幸せね。しかし私はもう黄泉に至らずば相見えぬと誓ってしまったわ・・・

ならば殿下、黄泉で武后とお会いになればよろしいのでは?

ええ!?

黄泉とはもともと地下の泉を指して言ったものです。今から水脈にぶつかるまでトンネルを掘り、そこへ降りてご母堂と再会すれば誓いを破ったことにはなりません。

なるほど、その手があったわ!

早速準備をさせましょう。

こうして荘公と武姜は和解を果たしその後は仲のいい親子になったとの事よ。さらに、以前洛陽の権威に挑戦したことで東の大国「斉」の国君釐公が鄭と友好を結ぼうと動き始めたわ。これに荘公は応じて石門(山東省平陰県北部)で友好の血盟を結んだわ。ところが平穏な日々は長く続かずに・・・

た、大変です!

どうしたの、騒々しい。

北方の衛国が宋、魯、陳、蔡と連合してわが国に攻め込んできました!

な、なんだってーーー!!

さて、そんなところで萌える春秋戦国史2話はおしまい。

次回に登場予定の人物を紹介しておくぜ。

衛州吁
衛国第十四代君主。在位年は前719年。荘公の子。公子州吁。荘公の愛妾の子。荘公に特に可愛がられ、衛君の位を望む。

石厚
衛の大夫。前719年没。石碏の子。公子州吁と仲が良く、父に州吁と遊ぶことを禁じられるが聞き入れなかった。成人後も二人の関係は変わらず、州吁が位につくとその補佐をした。

宋殤公
宋国第十五代君主。在位年は前719~710年。名は与夷。宣公の子。叔父の穆公の後を継いで即位した。しかし、宣公が見抜いた通り君主としての器量はあまり優れていなかったようである。在位10年で実に11回も戦争を行ったという。

公子馮
宋穆公の子。父の穆公が公子与夷に位を譲ったので鄭に出奔した。
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 楼主| 发表于 2007-9-9 17:21 | 显示全部楼层
その3




さて、というわけで萌える春秋戦国史の3回目ね。

今回はちょっと間が開いたな。

仕方ないでしょ。有明のお祭にかかりっきりだったんだから。

(スタッフの笑い声)

それじゃ、本編に行ってみるぜ。
鄭荘公

・・・・・・そもそも、どうして衛が我が鄭に攻め込んできたの?以前書を送って軍を引かせたはずなのに・・・
公子呂

それが殿下、最近衛で政変が起こり衛桓公が殺害されたようです。

なんですって?
祭足

新しく衛君の座についた公子州吁と側近の石厚のことはご存知で?

ええと、たしかかなりの我侭かつ乱暴者とか・・・
ここで舞台は衛に移ります

衛州吁
衛国第十四代君主。在位年は前719年。荘公の子。公子州吁。荘公の愛妾の子。荘公に特に可愛がられ、衛君の位を望む。

石厚
衛の大夫。前719年没。石碏の子。公子州吁と仲が良く、父に州吁と遊ぶことを禁じられるが聞き入れなかった。成人後も二人の関係は変わらず、州吁が位につくとその補佐をした。

衛桓公
衛国第十三代君主。在位年は前734~719年。名は完。衛荘公の子。

さて、というわけで衛の国君の座を奪うために、貴様には死んでもらう!

覚悟!

な、出番かと思ったらこれか!? ぐふっ・・・


よし、計画通り桓公は殺した。ところで弟の公子晋

はどうした?

それが、いち早く逃亡した模様で・・・

ちっ、まぁいい。邪魔者を追放する手間が省けたというものだ。

こうして公子州吁は衛の国君として即位したんだけど当然のことながら市民の人気はガタ落ち、家臣にも白い目を向けられることになったの。もともと人望なかったのかしらね・・・

今までの説明だとあるほうが不思議だって。

くっ、このままではまずいな・・・どこか近隣諸国に戦争を仕掛けて威光を示し、国内の不満をそらすことにしよう。どこがいいか?

ちょうどおあつらえ向きに鄭の公孫滑がわが国に亡命しています。彼を押し立てて鄭を討つべきかと。それに以前鄭は周に無礼を働いています。

しかし、鄭は以前斉と友好を結んでいる。単独で勝てるか?

ならば我々も近隣諸国を集めましょう。

成算はあるのか?

まず陳と蔡の二カ国があります。彼らは以前鄭が周に無礼を働いたことを快く思っていません。それに小国ですから脅かして言うことを聞かせられるでしょう。次に魯です。今魯で実権を握っているのは国君の隠公

ではなく公子翬

です。彼は貪欲ですので財宝を積めば兵を出してくれるでしょう。最後に宋ですが、現在宋の公子馮

が鄭に亡命しています。実は彼こそ宋の先君の嫡子ですが先君の遺言で継承権を放棄して出国しています。ただ、その存在が現在の宋殤公

には不安でしょうからそれを焚きつければ兵を出すはずです。

なるほど、さっそくそうしよう。

・・・というわけです。

ぐぐぐ・・・内政の失敗を戦争でどうにかしようって発想は紀元前からなのね・・・

殿下、そんなことを言っている場合ではありませんが。

そうです、いくら我が軍が精鋭とはいえ5カ国連合軍を相手にしては・・・

いえ、公子呂殿、心配することはありません。

5カ国連合の大軍ですぞ。それが心配いらないと?

なるほど5カ国ではありますが、本気で戦う気があるのは宋軍のみ。しかも戦う目的は身内の公子馮を捕らえるか殺すためよ。ならば公子馮を遠隔の地に移せば宋軍を引き離せるわ。

それはいい。しかし他の4カ国がなぜ本気で戦わないと?

陳と蔡は衛の圧力でしぶしぶ出兵したはず。我々に恨みがあるわけでなし戦意があるわけがないわ。

しかし、その両国は我らが周朝を侮辱したのを憤っているのでは?

それはそうでしょう。でもそれだけで生死を賭けた戦いは出来ない。

では魯は?

魯も同じこと。こちらの情報によれば魯将の公子翬は財宝で買収されて参戦しているようだけど、そんな将軍が本気で兵を失う戦いはしないわ。

しかし衛は侵略の首謀者では?それに州吁と石厚は猛将と聞きます。

そう、確かに正面から戦えばなかなか手ごわい相手でしょう。でもそもそもこの戦いは衛にとって国内の不満をそらすのが目的よ。つまり彼らは本気でわが国を潰すためではなく勝つために来ている。おまけに国内の情勢が不穏と来れば少し負けてやればすぐ軍を引くわ。

しかし、だからといっておめおめ負けるわけにも・・・

いえ、どうせ彼らの命はそう長くないわ。衛には良識派として名高い大夫石碏

がいるわ。

何ですって?彼は石厚の父じゃないの。

だからよ。このまま石厚を生かしておけば衛でまた政変が起きたときに石氏の一族が巻き添えで皆殺しになりかねない。それを避けるためには石厚と州吁に死んでもらわなければならないわ。ふふ、いずれあの2人は彼の手にかかるでしょう。

わかったわ。それでは城の防備を固めて公子馮を長葛城(河南省長葛県北)に移すように。

というわけです。公子、移動の準備を。

公子馮
宋穆公の子。父の穆公が公子与夷(宋殤公)に位を譲ったので鄭に出奔した。

そ、そんな!私は宋軍に捕まれば間違いなく殺されてしまいます!

ご安心を、長葛城の兵には公子の命令に従い城を死守するよう伝えてあります。城には兵糧武具も用意してあります。

うぅ、本当に大丈夫なんでしょうか・・・
そして数日後

ふふふ、何の妨害もなく新鄭まで到着できたな。

連中、我々を恐れて城に閉じこもっているのでしょう。

よし、陣を築いて明日より城攻めにかかる!
同じく宋軍の陣営

宋殤公
宋国第十五代君主。在位年は前719~710年。名は与夷。宣公の子。叔父の穆公の後を継いで即位した。しかし、宣公が見抜いた通り君主としての器量はあまり優れていなかったようである。在位10年で実に11回も戦争を行ったという。

ん?城門が開いたですって?
宋軍兵士

は、軍使がこちらに向かっています。

これは宋傷公、ご機嫌麗しゅう。我が君より親書を預かってきました。
公子馮を庇護したことが貴国の不興を招いたと承知している。もとより宋の内政に干渉するつもりはない。とはいえ懐に飛び込んだ窮鳥を害するのは義に反する。よって公子馮を長葛城に移した。適当に裁量されたい。

・・・・・・よし、陣をたたんで長葛城へ向かう!



ははっ!

なんだって、宋軍が戦列を離れた!?くそ、勝手なことを!

いきなり宋軍が戦列から離れたので魯、陳、蔡軍が浮き足立っています。このままでは城を攻めても埒が明かないかと。

うーむ・・・

よし、出撃するぞ、城門を開けろ!
鄭軍兵士


はっ!

我こそは鄭の公子呂なり、衛将と一騎打ちを所望する!

何、鄭軍が出てきただって?望むところだ、石厚よ、相手をして来い!

はっ!    我こそは衛の石厚なり、いざ勝負!


(・・・なかなか出来るな・・・よし、ここは作戦通りに)

なかなかやるな、今日のところはこのくらいにしておいてやる!(もろ悪役の台詞・・・トホホ)

待てっ、逃げるか!

よし、公子呂殿が城に入り次第門を閉めよ!

くそっ、城門が閉められたか!


おい、某RPGではないんだからそれで引き上げるわけには行かないんだぞ。

わ、分かっていますが・・・ん?城の周りに麦畑が・・・そうだ、以前鄭が周の穀物を奪った報復に我らも奴らの麦を抜き取りましょう。

なるほど、それはいい。我々の勝利を宣伝できるしな。

よし、麦を根こそぎ抜き取れ!
衛軍兵士




ははっ!
そして翌日

周朝に対する鄭伯の無礼を懲戒するこの度の挙兵は既に目的を果たした。よって明日早朝凱旋の途につく。

敵軍、引き上げていきます!

やはりね・・・まぁ、こちらもそんなに被害が出ているわけではないから良しとしましょう。

こうして宋軍を除く4カ国連合軍は鄭から引き上げたわ。これが後に東門の役と呼ばれる戦いよ。

あれ、長葛城に向かった宋軍はどうしたんだ?

それについてはこれからね。
公子馮

くっ、完全に包囲されましたか・・・
宋殤公

公子馮よ、無駄な抵抗はやめて降伏しなさい!

何を馬鹿な!降伏したところで間違いなく殺す気でしょう、こうなれば最後まで戦ってやります!



ちなみにこの戦いは結構長引くのでまた後ほど。
そして衛では

むむむ。この前の戦勝を宣伝したが相変わらず国内の情勢は不穏なままか・・・どうすれば。

・・・私の父石碏は朝臣と城民の信頼を一身に集めています。再出馬を願ってみてはいかがでしょう。

しかしそちは父から勘当されていたのではないか、大丈夫か?

何とかやってみましょう。

石碏
衛の大夫。公子州吁の振る舞いを憂い、荘公を諌めたが聞き入れられなかった。公子完が太子となったので安心して引退したが、州吁が桓公を殺して位についたので、策をもって州吁を除いた。州吁を処刑するために、我が子をも殺したので忠臣として称えられた。

・・・主公が会いたいと?何のためかな?

政権安定のために父上の力をお借りしたいとのことです。

ふむ、それならわけはない。洛陽の天子に即位の旨を伝えてお言葉をいただければ政権が安定する。そうだな、確か陳国の国君桓公は天子の覚えがめでたいからまずは陳に立ち寄ってとりなしを頼むのが良いだろう。私から手紙を書いておくから心配は要らない。

父上、ご教示ありがとうございました。

・・・さて、陳に手紙を書かねば・・・

陳桓公
陳国第十二代君主。在位年は前744~707年。名は鮑。文公の子。

・・・衛から手紙?ふむ、ふむ・・・
そして数日後

ふぅ、ようやく陳までたどり着いたな。うまくいけばいいが。

父上から既に話は通っています。ご安心を。

そうか、・・・ん?何か騒がしいような・・・
陳軍兵士


いたぞ、州吁と石厚だ、捕まえろ!


これは一体どういうことだ!?

・・・石厚よ、君の父上から連絡があってね。馬鹿息子が欲に目をくらませて簒奪に走ったと。その簒奪者が近く訪れるので捕縛して欲しいとのことだったよ。


な、なんだってーー!!

一方衛では二人の捕縛の知らせを受けて石碏が中心となって亡命した公子晋を衛の国君に立てることにしたわ。これが後の衛宣公ね。この人もあんまり評判は・・・いやまぁ、ゴニョゴニョ

衛宣公
衛国第十五代君主。在位年は前718~700年。名は晋。荘公の子。州吁の乱の後即位した。大過なく衛を治めていたようであるが、後継問題の処理を誤り後の乱の原因をつくった

さて、陳に捕まっている2人のことだが・・・州吁は死罪として石厚はどうすべきかな?

石厚は州吁と同罪でございます。

だが卿の功績に免じて・・・

いえ、そのようなわけにはいきません。朝臣として許されても不肖の子として親が引導を渡します。それをお許しください。

わかった、それでは右宰醜よ、陳へ向かい州吁を処刑するように。

はっ。

私の家臣の孺羊肩も同行させます。

右宰醜
衛の大夫。名は醜、右宰は官名で、氏は不明。衛の右宰の職に就いていた人物。陳で捕えられた州吁の処刑に立ち会った。

孺羊肩
石家の家宰。石厚の処刑に立ち会った。
そして陳では

右宰醜か、そちは寡人の臣ではないか、臣が君を処刑する道理がどこにある!

道理はないが前例はある。なぜ先君を殺した!だがオレは君命によって逆賊を処刑する。


とにかく父上に会わせてくれ。このままでは死んでも死にきれない。父上に言い残すことがある!

若旦那、観念してください。その必要は無いと聞いています。まぁ、首は持って帰りますのでそのときにでも旦那様におっしゃってください。


殿下、任務完了しました。

うむ、ご苦労。

これで衛の政変は一段落がついたわ。東門の役から約半年後のことね。ここで舞台はまた鄭に移るわ。
鄭、長葛城

うりゃぁぁぁー!

き、きゃぁぁぁ!?



はぁ、はぁ・・・ようやく半年がかりで城を落としたわ。公子馮はどうしたの!

大変です、城内には姿が見えません!おそらく逃げられたのかと・・・

なんですってぇぇ!?何のために半年もかけて城攻めをしたというのよ!こうなれば長葛周辺を略奪して帰還します!
新鄭の城では

衛からの連絡です。先ほど政変が起こり州吁が倒され新君の宣公が即位したとのことです。

ふーん、やはり祭足の言うとおりになったわね。流石だわ。

恐れ入ります。

これでまた平和が来るかしら・・・

殿下、長葛城より公子馮殿が参られました。

何ですって、すぐに通しなさい。

申し訳ありません、殿下よりお預かりした城を守りきれませんでした・・・

いや、よく半年も頑張ったわ。再びそなたを鄭で庇護しましょう。

あ、ありがとうございます。

天は自ら助けるものを助ける、よくぞ陥落した城から逃げ出せたわね。

しかし、宋殤公は私を捕縛できなかった腹いせに長葛周辺を略奪して引き上げたそうです。

・・・何ですって?
そして数日後

宋に自国を略奪されたままにしておくわけにはいかないわ、報復に宋を攻めましょう。

いえ、それはいけません。今宋を討てば5カ国連合に加わった国は火の粉を被るのを恐れて団結します。遠征先で5カ国に集中攻撃を受けては手の施しようがありません。

む・・・

そうですね、まずは洛陽に行くことです。

また悪い癖を出したわね、真っ直ぐ言って頂戴。

まっすぐ言っています。あわてずに続きを聞いてください。まずは洛陽に出かけて宋を討つ錦の御旗を手に入れることです。

しかし、そううまくいくかしら?ただでさえ今の周王はこちらを快く思っていないでしょうに。

まぁ、前に麦刈りとかしましたからねぇ・・・ともあれ心配は要りません。なぜなら錦の御旗はこっちで用意してあるからです。洛陽に行くのは周王から手に入れたという辻褄あわせですから。

それは王命の詐称じゃないの?

バレなければ心配はありません。

こうして鄭荘公は宋を討つ錦の御旗を手に入れることに成功したわ。予想通り諸侯は周が鄭の圧力に負けて錦の御旗を手に入れたと信じたようね。

今回はここまでかな?

そうね、次回からは宋との戦争が待っているわよ。

とりあえず次回に出る予定のの登場人物を紹介しておくぜ。

孔父嘉
宋の卿。前710年没。名は嘉、字は孔父。宋の大司馬。孔子の六世の祖。

公孫閼
鄭の公孫。字は子都。桓公または武公の孫。

高渠弥
鄭の卿。前694年没。荘公以来の重臣で、後に卿となる。
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发表于 2007-9-9 17:22 | 显示全部楼层
:awkward:

看完了

还。。。真的几乎没落下什么:awkward:
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 楼主| 发表于 2007-9-9 17:25 | 显示全部楼层
原帖由 熊猫阿黑 于 2007-9-9 17:22 发表
:awkward:

看完了

还。。。真的几乎没落下什么:awkward:



落什么?
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发表于 2007-9-9 18:00 | 显示全部楼层
没中文
送火星
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