婆罗门
精华
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本帖最后由 玖羽 于 2026-1-9 18:41 编辑
要知道,把日语书面语写得通顺流畅、娓娓道来(而不是重复累赘、佶屈聱牙),是只有极少数日本人掌握的本事,村上春树就是其中之一
这个文笔爆杀绝大多数轻小说:
僕は三十七歳で、そのときボーイング747のシートに座っていた。その巨大な飛行機はぶ厚い雨雲をくぐり抜けて降下し、ハンブルク空港に着陸しようとしているところだった。十一月の冷ややかな雨が大地を暗く染め、雨合羽を着た整備工たちや、のっぺりとした空港ビルの上に立った旗や、BMWの広告板やそんな何もかもをフランドル派の陰うつな絵の背景のように見せていた。やれやれ、またドイツか、と僕は思った。
飛行機が着地を完了すると禁煙のサインが消え、天井のスピーカーから小さな音でBGMが流れはじめた。それはどこかのオーケストラが甘く演奏するビートルズの『ノルウェイの森』だった。そしてそのメロディーはいつものように僕を混乱させた。いや、いつもとは比べものにならないくらい激しく僕を混乱させ揺り動かした。
僕は頭がはりさけてしまわないように身をかがめて両手で顔を覆い、そのままじっとしていた。やがてドイツ人のスチュワーデスがやってきて、気分がわるいのかと英語で訊いた。大丈夫、少し目まいがしただけだと僕は答えた。
「本当に大丈夫?」
「大丈夫です、ありがとう」と僕は言った。スチュワーデスはにっこりと笑って行ってしまい音楽はビリー・ジョエルの曲に変った。僕は顔を上げて北海の上空に浮かんだ暗い雲を眺め、自分がこれまでの人生の過程で失ってきた多くのもののことを考えた。失われた時間、死にあるいは去っていった人々、もう戻ることのない想い。
飛行機が完全にストップして、人々がシートベルトを外し、物入れの中からバッグやら上着やらをとりだし始めるまで、僕はずっとあの草原の中にいた。僕は草の匂いをかぎ、肌に風を感じ、鳥の声を聴いた。それは一九六九年の秋で、僕はもうすぐ二十歳になろうとしていた。
前と同じスチュワーデスがやってきて、僕の隣りに腰を下ろし、もう大丈夫かと訊ねた。
「大丈夫です、ありがとう。ちょっと哀しくなっただけだから(It’s all right now. Thank you. I only felt lonely, you know.)」と僕は言って微笑んだ。
「Well, I feel same way, same thing, once in a while. I know what you mean.(そういうこと私にもときどきありますよ。よくわかります)」彼女はそう言って首を振り、席から立ちあがってとても素敵な笑顔を僕に向けてくれた。「I hope you’ll have a nice trip. Auf Wiedersehen!(よい御旅行を。さようなら)」
「Auf Wiedersehen!」と僕も言った。
十八年という歳月が過ぎ去ってしまった今でも、僕はあの草原の風景をはっきりと思いだすことができる。何日かつづいたやわらかな雨に夏のあいだのほこりをすっかり洗い流された山肌は深く鮮かな青みをたたえ、十月の風はすすきの穂をあちこちで揺らせ、細長い雲が凍りつくような青い天頂にぴたりとはりついていた。空は高く、じっと見ていると目が痛くなるほどだった。風は草原をわたり、彼女の髪をかすかに揺らせて雑木林に抜けていった。梢の葉がさらさらと音を立て、遠くの方で犬の鳴く声が聞こえた。まるで別の世界の入口から聞こえてくるような小さくかすんだ鳴き声だった。その他にはどんな物音もなかった。どんな物音も我々の耳には届かなかった。誰一人ともすれ違わなかった。まっ赤な鳥が二羽草原の中から何かに怯えたようにとびあがって雑木林の方に飛んでいくのを見かけただけだった。歩きながら直子は僕に井戸の話をしてくれた。
記憶というのはなんだか不思議なものだ。その中に実際に身を置いていたとき、僕はそんな風景に殆んど注意なんて払わなかった。とくに印象的な風景だとも思わなかったし、十八年後もその風景を細部まで覚えているかもしれないとは考えつきもしなかった。正直なところ、そのときの僕には風景なんてどうでもいいようなものだったのだ。僕は僕自身のことを考え、そのときとなりを並んで歩いていた一人の美しい女のことを考え、僕と彼女とのことを考え、そしてまた僕自身のことを考えた。それは何を見ても何を感じても何を考えても、結局すべてはブーメランのように自分自身の手もとに戻ってくるという年代だったのだ。おまけに僕は恋をしていて、その恋はひどくややこしい場所に僕を運びこんでいた。まわりの風景に気持を向ける余裕なんてどこにもなかったのだ。
でも今では僕の脳裏に最初に浮かぶのはその草原の風景だ。草の匂い、かすかな冷やかさを含んだ風、山の稜線、犬の鳴く声、そんなものがまず最初に浮かびあがってくる。とてもくっきりと。それらはあまりにくっきりとしているので、手をのばせばひとつひとつ指でなぞれそうな気がするくらいだ。しかしその風景の中には人の姿は見えない。誰もいない。直子もいないし、僕もいない。我々はいったいどこに消えてしまったんだろう、と僕は思う。どうしてこんなことが起りうるんだろう、と。あれほど大事そうに見えたものは、彼女やそのときの僕や僕の世界は、みんなどこに行ってしまったんだろう、と。そう、僕には直子の顔を今すぐ思いだすことさえできないのだ。僕が手にしているのは人影のない背景だけなのだ。
もちろん時間さえかければ僕は彼女の顔を思いだすことができる。小さな冷たい手や、さらりとした手ざわりのまっすぐなきれいな髪や、やわらかな丸い形の耳たぶやそのすぐ下にある小さなホクロや、冬になるとよく着ていた上品なキャメルのコートや、いつも相手の目をじっとのぞきこみながら質問する癖や、ときどき何かの加減で震え気味になる声(まるで強風の吹く丘の上でしゃべっているみたいだった)や、そんなイメージをひとつひとつ積みかさねていくと、ふっと自然に彼女の顔が浮かびあがってくる。まず横顔が浮かびあがってくる。これはたぶん僕と直子がいつも並んで歩いていたせいだろう。だから僕が最初に思いだすのはいつも彼女の横顔なのだ。それから彼女は僕の方を向き、にっこりと笑い、少し首をかしげ、話しかけ、僕の目をのぞきこむ。まるで澄んだ泉の底をちらりとよぎる小さな魚の影を探し求めるみたいに。
でもそんな風に僕の頭の中に直子の顔が浮かんでくるまでには少し時間がかかる。そして年月がたつにつれてそれに要する時間はだんだん長くなってくる。哀しいことではあるけれど、それは真実なのだ。最初は五秒あれば思いだせたのに、それが十秒になり三十秒になり一分になる。まるで夕暮の影のようにそれはどんどん長くなる。そしておそらくやがては夕闇の中に吸いこまれてしまうことになるのだろう。そう、僕の記憶は直子の立っていた場所から確実に遠ざかりつつあるのだ。ちょうど僕がかつての僕自身が立っていた場所から確実に遠ざかりつつあるように。そして風景だけが、その十月の草原の風景だけが、まるで映画の中の象徴的なシーンみたいにくりかえしくりかえし僕の頭の中に浮かんでくる。そしてその風景は僕の頭のある部分を執拗に蹴りつづけている。おい、起きろ、俺はまだここにいるんだぞ、起きろ、起きて理解しろ、どうして俺がまだここにいるのかというその理由を。痛みはない。痛みはまったくない。蹴とばすたびにうつろな音がするだけだ。そしてその音さえもたぷんいつかは消えてしまうのだろう。他の何もかもが結局は消えてしまったように。しかしハンブルク空港のルフトハンザ機の中で、彼らはいつもより長くいつもより強く僕の頭を蹴りつづけていた。起きろ、理解しろ、と。だからこそ僕はこの文章を書いている。僕は何ごとによらず文章にして書いてみないことには物事をうまく理解できないというタイプの人間なのだ。
对比加速世界:
仮想黒板の右上に、黄色い手紙マークが点滅した。
授業中にぼんやりしていたハルユキは、思わず首を縮めながら、両眼の焦点を移動させた。
途端、視界いっぱいに広がる深緑色の黒板がスッと半透明に薄れ、整然と並ぶ生徒たちの背中と、その向こうに立つ教師の姿が鮮明化する。
教室、同級生、そして教師は現実の存在だが、透過する黒板とそこにびっしり板書された数式はそうではない。教師が空中に書きつけた数字と記号を、ハルユキの首の後ろに装着された《ニューロリンカー》が脳内で直接映像化しているのだ。
初老の数学教師は、どこかやり難そうに、何も持たない指先を彼にだけ見える黒板に走らせながらぼそぼそと公式の解説を続けている。その声も、現実の音としてはとてもハルユキの耳に届くボリュームではないが、教師の首に巻きつくニューロリンカーが増幅・鮮明化し、ハルユキに送り込んでくる。
視線を近くに戻すと、先ほどよりも数式の増えた黒板が再び実体化した。どうやら受信したメールは、教師が宿題の詰まった圧縮ファイルを配布したものではなさそうだ。となれば、グローバルネットから隔離されている現在、送り主は同じ学校の生徒ということになる。
女子の誰かが、校則を破って好意的メッセージを送ってきたのかも、などという期待は、中学校に入学してからのこの半年間でとうに捨てた。メールをそのまま、視界左下すみのゴミ箱にドロップしてしまいたいとハルユキは心底思ったが、そんなことをすれば後でどんな目に遭あうか知れない。
嫌々ながら、教師が背中を向けたスキを覗い、右手を宙に上げて(この動作は仮想ではなく現実のものだ)メールアイコンを指先でクリックする。
瞬間、ぶびばぼるぶびる! という品性の欠片もないサウンドと、原色の洪水のようなグラフィックがハルユキの聴覚と視覚にぶちまけられた。続いて、文字ではなく音声でメッセージ本文が再生される。
【ブタくんに今日のコマンドを命令する!(バックにぎゃはははという複数の笑い声)焼きそばパン二個と、クリームメロンパン一個と、いちごヨーグルト三個を昼休み開始から五分以内に屋上まで持って来い! 遅刻したら肉まんの刑! チクったらチャーシューの刑だかんな!(再び爆笑)】
──左頰に感じる粘つくような視線の方向を見るまい、とハルユキは意志力を振り絞って首を固定した。見れば間違いなく荒谷とその手下A、Bの嘲笑にさらなる屈辱を与えられるからだ。
授業中にこんなメールを録音したり視聴覚エフェクトを掛けたりすることは勿もち論ろんできないので、これは事前に作成しておいたものだろう。何という暇な連中か、おまけに何だよ『コマンドを命令』って、意味ダブってんだよバーカバーカ!!
と、脳内では罵れるものの、それを声に出すことは勿論、メールで返信することすらハルユキにはできない。荒谷が、いかに時代が進もうと絶滅しないゴキブリ級のバカだとすれば、そいつにイジメられるままになっている自分は輪を掛けた愚か者だからだ。
実際、ほんの少しの度胸と行動力さえあれば、このメールを含めて保存しておいた数十件の《証拠品》を学校に提出して、連中を処罰させることは容易いだろう。
しかし、ハルユキはどうしてもその先を想像してしまう。
いかにニューロリンカーが国民一人に一台と言われるまでに普及し、生活の半分が仮想ネットワークで行われるようになったと言っても、所詮人間は《生身の肉体》という枷によってローレベルに規定され続ける存在でしかない。三度三度お腹も空くしトイレにも行く、そして──殴られれば痛いし、痛くて泣くのは死ぬほど惨めだ。
リンカースキルが進学や出世を決める、なんていうのは巨大ネットワーク企業のイメージ戦略に過ぎない。人間の価値を決めるのは結局、外見や腕力といった原始的なパラメータだけだ。
それが、小学五年生のときに体重六十キロを超え、五十メートル走で十秒を切ったことのないハルユキが十三歳にして行き着いた結論だった。 |
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