—— 来自 Xiaomi Redmi K30 Pro, Android 10上的 S1Next-鹅版 v2.2.2.1 百科说她是14年恢复的?不过从15年她接手的角色数量看应该那时候差不多好了吧 免疫系统出问题是很可怕的,会有什么并发症都不奇怪
—— 来自 samsung SM-G973W, Android 10上的 S1Next-鹅版 v2.2.2.1 她是系统性红斑狼疮来着么……
有印象的最后一个角色是ls片尾本色出演了一把,后来只知道她的病了淡出cv行业……没想到如此严重而且是一直以来就有的orz
—— 来自 HUAWEI HMA-AL00, Android 9上的 S1Next-鹅版 v2.1.2 地図と青い森 发表于 2020-5-13 20:51
她是系统性红斑狼疮来着么……
有印象的最后一个角色是ls片尾本色出演了一把,后来只知道她的病了淡出cv行 ...
科普时间到cv的意思是某个角色的声优而不是声优这个职业 感谢翻译,身体要紧,希望早日康复 想到最近朋友说八儿匕不吉利的话了
三个主役声优炎上以后不干了,大病,不伦恋被踢爆了
作者不写了
动画公司被纵火
唯一还在活跃的。。是阿宽 lucifer0607 发表于 2020-5-14 13:53
想到最近朋友说八儿匕不吉利的话了
三个主役声优炎上以后不干了,大病,不伦恋被踢爆了
作者不写了
组长和小野表示:不要咒我( aptx8285144 发表于 2020-5-14 14:36
组长和小野表示:不要咒我(
小野不知道,组长的头发…
—— 来自 OnePlus GM1917, Android 10上的 S1Next-鹅版 v2.2.2.1 lucifer0607 发表于 2020-5-14 13:53
想到最近朋友说八儿匕不吉利的话了
三个主役声优炎上以后不干了,大病,不伦恋被踢爆了
作者不写了
不干不至于,之前小长门动画还不是回来配的 红斑狼疮美女病啊…看了下这几年也很关键,加油 舰B的爱丁堡是她配的,想念
—— 来自 HUAWEI COL-AL10, Android 10上的 S1Next-鹅版 v2.2.2.1 凑斗光和村正保佑你 本帖最后由 aptx8285144 于 2020-5-14 20:09 编辑
对她印象最深的反而是cg的阿尼亚,可惜当年没有对她个人剧情进行展开过,有一半时间成了皇后的棋子 红斑狼疮好多年了,里界工作基本完全停下来了……最近倒是接了个cube一个shuffle2,也不知道葵妈加了多少钱,特别是shuffle2还有hs……当时看到CV表是真惊了 所以这到底是哪年的? 什么?!光竟然是实玖留! antonygin 发表于 2020-5-14 21:24
2012年。
不说清楚以为最近快挂了 我爸就是得这个血小板紫癜去世的。这个病,血小板过低导致身体内内出血。身体上会出现斑点。手哪怕是割破一个小口子都会血止不住。理论上死亡率不高。但是内出血的部位一旦不好就很危险。我父亲就是因为感冒导致脑部出血走的。而且这个病,非常难治愈。算是稀少病种
眼前有这么多想做的工作
我不想在这时候放弃啊。
最后会倒下也没关系我现在想奔跑。
于是我再也没去医院。
我居然打破了和父母的约定。
每次回到老家我都骗他们检查的结果很好。
从三年前起我就无法忍受全身的疼痛,
养成了边吃止痛药边工作的习惯。
那时在录音室不管是坐着还是站着都很乏力。
抱着希望我去了医院综合治疗但是也没有用。
从去年开始没有人扶我甚至无法上下楼梯。
收录(不在录音室)都是一个人单独录的。
Event时都有人给我搬椅子坐。
想尽力不让别人担心的同时,
我一直给周围的人带去担心和麻烦。
于是乎终于有一天,事务所强制将执拗的我押进了医院,
直到现在。
真的很感激。
我只顾着自己的感受,
就算最后会倒下现在也要继续奔跑什么的
做好了独善自身的觉悟。
太任性了。为什么会那么傻呢。
(真倒下了)一直守护着我的那些人会是什么心情呢。
连这我都不了解,我真是脑袋进水了。
我病倒之后有这么多人担心和悲伤。
父母亲不用说,
Staff,朋友,留言和发邮件来的大家,
我终于意识到了这一点。
让我觉醒的是大家的话语。
可能说得有点迟但是,谢谢大家。
写到这里全是些难过的话,
其实这次入院有一个很惊喜的发现。
自身免疫性疾病的治疗法已经基本确立了。
在我15岁的时候免疫疾病还被认为
“原因不明”、“不治之症”,与其说治疗实际上是听天由命。
当时的主治医生告知父母我可能会死去。
20多年过去发生了这么大的变化。
(咦,奇怪哦,加一下和官网我的年龄有差呢。)
病例多应该也是研究进展的一个原因。
我不知道的时候医学正在发展,虽然不能完全治愈
只要控制得好这个病也不会太影响生活了。
我还真是无知地独自忍受不必要的痛苦呢。
我染上的新自身免疫性疾病的名字叫“胶原病”。
得了红斑狼疮的人都很容易染上这疾病。
主治医同时也告诉我
“这个病还不致死。但你危险的是,心脏。”
那时我的表情就像( ゚ ▽ ゚ ;),ガ━━(;゚Д゚)━━ン!!
和以前说的完全不一样啊。
今天决定发表这篇日志,
是因为看到留言的人里有,
发邮件来的人里也有,同在与病魔作斗争的朋友。
说实话真的有这么多么?我有点惊讶。
但是大家给我发来这么多的信息我真的很高兴。
所以,我也想说同样的话。
我并不是夸口要成为病人们的榜样。
我只是个招麻烦的、惹人担心的、爱说谎的、无知的乐天派。
思维模式从中学到现在都一直有偏颇。
我不觉得自己的话语能拯救谁。只是,
“原来如此,后藤桑一样不容易呢”,
希望能让大家的心情稍微好过一些。
很长很长的日记呢。
谢谢大家能读到最后。
以后我会写回正常的日记的(*^▽^*)
曾经的邑子桑。
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テーマ:ブログ今日のブログは长くなります。なんせ私のほぼ半生ですから。
途中で饱きちゃうかもしれません。
でもよかったら最后まで付き合ってください。
以前のブログで中学の时に似た病気で闘病したと书きましたが、
退院してもその自己免疫疾患は治った訳じゃありません。
突発性血小板减少性紫斑病と言うもので、
基本的にずっと治疗していかなければいけない病気です。
でも运良く受験に间に合い无事高校生になった私は、
体育の授业に参加できない以外は
それなりに普通の生活が送れてラッキーなんて思ってました。
人より弱めの体でも用心していれば长く生きられる。
それが何より大事な気がしていました。
実は东京での学生生活に憧れていたけど、
爱知県の大学に进んだのは市役所の职员になるためです。
当时、私の通った高校を出て私の通った大学を出れば
确実に地元市役所に入れると言われていました。
市役所の仕事を軽く考えた訳じゃないですが、
県庁でなく大きな市役所でもない地元の市役所、しかも近所だったら
身体に负担をかけずに働けると思ったのです。何より公务员。
长期の入院をしたとしても辞めさせられることはまずないだろうと、
そんな若者らしくない発想で地元の大学への进学を决めました。
いつしか私は希望を持たないことに长けた
やや枯れ気味の高校生になっていました。
でも、ある时、
好きなこともやりたいことも1度も考えずに、
そうまでして长く生きたいのって何故だろうと、
长さ自体に価値があるんだろうかと突然考えてしまいました。
それまでは敢えて考えずにいた気がします。
考えてしまえば我慢しなければいけなくなる。
両亲は绝対に反対するだろうし、
経済的に自立していない私は自力では行动出来ない。
アルバイトをしようにも体力的に厳しいだろう。
结果谛めなければいけないなら妙な欲はかきたくない。
でもしまった。ついうっかり考えてしまった。
私は无宗教だから何の意味も使命もなく
自分は偶然この世に生まれたんだろうと思っています。
何かを背负う気も、生きる意义を考える気もありません。
でも限られた时间确かに生きるんだったら、
楽しい时间が多い方がいいんじゃないかと思いました。
ちょっと人生が短くなったってその方が価値があるんじゃないかと、
そう考え始めたらどうにも止まらなくなり、
势い大学を中退して上京してしまった訳です。
亲に内绪で退学届けを书きました。笔迹を変えて父亲の署名をしました。
印鉴を买って押印した时にはもう心は落ち着いていました。
考え始めてから1周间后の行动だったので、
今思い返しても我ながら惊きのスピードです。
両亲は泣きました。
両亲が谛める番です。
1度言い出したら人の言うことを闻かない娘です。
父が先に颔きました。
最后まで反対したら邑子が家に帰りにくくなる。
だから家の敷居を低くするために父さんは賛成する。と言いました。
私はこの言叶をずっと忘れません。。
无理をしないこと、病院に通うことを约束して私は上京しました。
上京してからもずっと用心してやってきたつもりでした。
东京の病院に治疗を引き継いでもらって毎周血液検査を受けました。
业界の饮み会に参加しなかったのも苦手と言うよりは体力温存です。
プライベートでは配送の病人食を食べました。
大好きなお酒は医者がオッケーだと言うので勿论饮みましたが、
睡眠时间も长く取り、周に3日は事务所に休みをもらう。
新人にしては珍しく、且つ、けしからん态度ですが、
持病があることを知らせていたので许されました。
でも仕事が楽しくなってしまったらもうダメでした。
无理をしてでもやりたいものはやりたいし、
私を选んでくれたんだったら全部の期待に応えたい。
そんな役者として当然の欲が出てきてしまいました。
私にとってそれだけこの仕事が楽しかったと言うことです。
梦中でした。
15歳の时からずっと色々なことを我慢してきました。
何1つ本気で打ち込んだことがありませんでした。
私はもう、やりたいことを何も我慢したくなかった。
そうして何年もするうちに血液の数値はどんどん下がっていきました。
当然体にも自覚できるくらいの症状が现れてきました。
だから本当は私は何年も前から
自分の病気が悪化していることを知っていました。
そのうち别の免疫疾患が発症した疑いが出て
主治医に改めて精密検査を勧められましたが
一次検査でひっかかったので二次検査を受けに行きませんでした。
きっと良くない结果が出ると思ったからです。
目の前にこんなにやりたい仕事があるのに
ここで止まりたくないと思いました。
そのうち倒れてもいいから今は走りたいと。
それから病院に行かなくなりました。
私はついに両亲との约束を破りました。
実家に帰るたびに何度も検査结果は良好だと嘘をつきました。
3年くらい前から全身の痛みが我慢できなくなって、
痛み止めを饮みながら仕事をするようになりました。
そのうちスタジオで立ったり座ったりするのもしんどくなりました。
何とか保たせられないかと统合医疗の病院に通ったけど无理でした。
去年から谁かに支えてもらわないと阶段の登り降りが出来なくなりました。
収录は1人だけの抜き录りにしてもらいました。
イベントでは常に椅子を出してもらいました。
周りに心配させまいと思いながら、
私は周りに心配と迷惑をかけ続けました。
そしてついに事务所が嫌がる私を半ば力ずくで病院に运びこんで、
今にいたる訳です。
本当にありがたい。
私は自分のことばかり考えて、
そのうち倒れてもいいから今は走ろうなんて
一人よがりな覚悟をしました。
胜手です。なんてアホだったんだと思います。
その间ずっと见守ってた人达はどんな気持ちでいただろう。
そんなことも分からない私は本当に头が悪い。
私が倒れてこんなに心配してこんなに悲しんでくれる人达がいました。
父さん母さんはもちろん、
スタッフ、友达、コメントやメールをくれるみんな、
私はやっとそのことに気付きました。
気付かせてくれたのはみんなの言叶です。
本当に遅いけど、ありがとう。
ここまで痛いことをたくさん书いたけど、
今回入院して何より嬉しい発见がありました。
自己免疫疾患の治疗法がほぼ确立されていたことです。
私が15歳だった顷はまだほとんどの免疫疾患が
原因不明、不治と言われぶっちゃけ一か八かの方法が取られていました。
当时の主治医は両亲に死の告知をしました。
それから20年以上の时间が経ったのが大きいのでしょう。
(あらおかしい。公表年齢と微妙に计算が合わないわ。)
症例数が多かったのも功を奏したのだと思います。
知らない间に医疗は进んで、ほとんどが完治しないまでも
上手くコントロールして付き合っていける病気になっていました。
そんなことも知らず私は1人で足掻いていた訳です。
新たな自己免疫疾患の病名は全身性エリテマトーデスでした。
紫斑病を持ってる人はこっちにもなりやすいとのこと。
それを私に告げた主治医も
「この病気では死にません。それよりあなた、心臓です。」と言いました。
その时私はポカンとまぬけな颜をしていたと思います。
だって昔言われたこととあんまり违うんだもの。
今回このブログを书こうと思ったのは、
コメント栏に书いてくれた人はもちろん、
HPのメールに闘病中の人から多くのメールが届いたからです。
正直こんなにも大势いるの?と惊きました。
でも皆さんが私にメールをくれたこととても嬉しかったです。
多くのメールに私のように明るく前向きになりたいと书いてありました。
だから、私も同じだよと言いたかったのです。
みんなのお手本になれるような病人では决してないです。
迷惑かけて、心配させて、嘘もついて、无知でネガティブなアホです。
考え方なんて中学生の顷から今の今までブレまくってます。
私の言叶で皆さんを救えるなんて思いません。ただ、
そうか、后藤さんもこんな风だったのかと、
皆さんの気持ちがほんの少しでも軽くなったらいいなと思います。
长い长いブログ。
最后まで付き合ってくれてありがとう。
次回からはまた日常のブログを书くね(*^▽^*)
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